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●湾岸戦争 わんがんせんそう

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 1991年1月17日午前3時(現地時間)アメリカ軍を中心とする多国籍軍が,イラクとクウェートに展開しているイラク軍並びに軍事施設へのミサイルや航空機による攻撃を行い,戦争が開始された。

【原因】直接的には,1990年8月2日未明(現地時間)イラク軍がクウェート領に侵攻し,ダスマン宮殿や主要な政府機関とクウェート空港などを占拠し,クウェートを制圧したことに端を発する。

 イラクのサダム=フセイン大統領は,〈歴史的にクウェートはイラク・バスラ州の一部であり,クウェート侵攻は植民地勢力が作り上げた国境を正すのが目的である〉(8月7日)という声明を発表。

 イラクのねらいは,イラン=イラク戦争で700〜800億ドルにのぼる対外債務の中のクウェート分を帳消しにし,さらにアラブ世界の盟主になりパレスチナ問題の解決を図ろうとしたのであろう。

 これに対し,国連安全保障理事会は,〈イラクに対する貿易・金融取引を全面的に禁止する包括的な経済制裁〉を決議し(8月6日),さらに〈最低限の武力行使を認める〉ことも決めた。(8月25日)

 このイラクと国連の対立が,湾岸危機であり,後に湾岸戦争へとつながっていくのである。

【経過】

 1990. 8. 2. イラク軍クウェート侵攻。米国は対イラク経済制裁を発表し,空母機動部隊をペルシア湾へ派遣。国連安保理が即時無条件撤退を求める決議。

 8. 8. イラクがクウェートの併合を宣言。

 8. 12. 国による海上封鎖

 8. 18. イラクによる西側外国人を人質とする方針を発表。

 9. 1. 国連事務総長とイラク外相の会談,失敗。

 9. 24. 仏大統領が国連総会で四段階の和平提案。

 11. 29. 国連安保理がイラクに対し,1月15日までに撤退しなければ武力行使を含むあらゆる手段をとることを認める決議を採択。

 11. 30. 米大統領が米国国務長官とイラク外相の直接対話を提案。

 12. 1. イラクがこの提案に原則合意。

 12. 7. イラク大統領全人質の解放を発表。

 1991. 1. 9. ジュネーブで米国・イラクの会談,物別れ。

 1. 12. 国連事務総長がバクダッドへ行きイラク大統領と会談,失敗。

 1. 17. 多国籍軍がイラクを攻撃。

 2. 18. ソ連大統領がモスクワでイラク外相に和平案提示。

 2. 22. 米大統領がイラクに撤退の最後通告。

 2. 24. 多国籍軍による大規模な地上戦の開始。

 2. 26. イラク大統領クウェートからの完全撤退を命令。

 2. 27. 米大統領戦闘中止を宣言。

【結果】米国を中心とする多国籍軍の圧倒的勝利であった。しかし,軍事的な勝利とこの湾岸戦争の真の解決とは別である。むしろ,これから真の解決へ向けての努力が始まるのである。

 その第一歩として中東和平会議が開催されようとしている。ここではパレスチナ問題が議題として取り上げられる予定である。

パレスチナ問題〉クウェートに侵攻したイラク大統領が,撤退の条件としてパレスチナ問題を持ち出した。つまり,イラクによるクウェート占領を問題とするなら,イスラエルによるパレスチナ占領も問題にすべきだという主張である。

 第二次世界大戦後,イスラエルが建国されたことから,アラブ・イスラエルの対立が激化し,1948年の第一次中東戦争以来数回にわたる戦争で,イスラエルがヨルダン川西岸などを占領した。これが,パレスチナ問題である。