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●ペレストロイカ

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 ペレストロイカは,ロシア語で改革とか立て直しを意味する。

 1970年代から1980年代にかけ,ソ連の経済は深刻な不振に落ち込み,財政赤字は1000億ルーブル,対外債務は1000億ドルに及んだ。その主な理由は,硬直化した中央集権的な経済システムや保守的な官僚層の増大など,無気力・無関心な労働者大衆であった。

 例えば,ある集団農場では,巨大コンバイン脱穀機)18台を購入し実際操動したのは7台であった。残りは部品供給用にばらされ,使用不能である,とのこと。都市では,食料品や日用品の供給が停滞し,市民の不満は増大している。ソ連の社会は絶望的な危機感に陥り,改革不可能な共産主義とまでいわれていた。 1985年,ミハイル=ゴルバチョフが書記長に就任して,この深刻な経済不振を打破し,民主化を進めていこうとする政策を押し進めていった。これが,ペレストロイカである。ゴルバチョフは第27回党大会で,新しい中央委員を選出し,党の新綱領を定め,ペレストロイカを推し進めていった。

 ペレストロイカの第一は,経済の改革である。停滞したソ連経済を内部から活性化し,生産性を向上させることである。そのための政策としては,

(1)個人経営を導入する。

(2)自由市場経済を取り入れる。

(3)企業の責任性を重んじる。

(4)外国との合併事業などを取り入れる。

という政策である。

 すなわち,社会主義的な枠組みをはずし,資本主義的要素を取り入れる政策である。今までの生産は,生産目標を中央で決定し,下へおろすトップ・ダウンの方式であった。これを改め,企業がまず生産計画を立て,国がそれをもとに国家計画を編成する方式,言い換えれば,管理過剰の方式から,経済性優先への方式へと切り替えたことである。

 しかし,ペレストロイカの理論と現実とは,なかなか一致しない。活性化が遅々として,進まないのは,官僚層の保守的傾向による。

 ソ連では就業人口が1億3000万人いる。そのうち中央省庁や管理機関に就業する人々が,約300万人,その下の企業,農場の中間管理者層が1500万人,これらの人々が,この改革によって就業を追われる恐れから反抗し,改革を妨げている。

 ペレストロイカは,経済面では失速状態であるものの,むしろ,政治面・文化面・社会面で大きな進展をみせている。

 政治面では,複数候補制や秘密投票性の実施など,スターリン批判の再開や,ソビエト史の再検討などが行われている。

 文化面・社会面では,閉鎖的なマスコミ報道を改め,民衆の声を,もっと政策に反映させるため,グラスノスチ(情報公開)がとられる。このグラスノスチはペレストロイカの重要な一環である。言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が叫ばれ,市民との対話が形成されてきている。

 例えば,1986年チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起こった。現地の責任者は事件の真実を最高権力機関に秘密にしていた。誰も破壊の度合の大きさを知らなかった。第27同党大会で宣言されたグラスノスチにより,現実に報道された。この報道を契機に,社会問題をより真実に伝えるようになった。

 麻薬の乱用,犯罪,汚職,為政者の過ちなど,多数の記事が報道されるようになった。スターリンの新しい資料も伝えられ,批判が再燃した。リベラルな作家,ジャーナリストが先を争って,自己の主張を堂々と発表するようになった。ペレストロイカの一環としてのグラスノスチが大きな役割を果たした。

 ゴルバチョフは,経済政策が成功するかどうか,どのようなプロセスを通って進められるのか,今の段階では,まったく予想がつかない。しかしながら,ペレストロイカは,10年先,20年先,いや100年先をにらんだ息の長い大計画である。確かに失敗するかもしれない。だが,失敗を恐れていてはいけない。何もしないより,失敗を修正しながらやっていくほうがいいのである,という。ペレストロイカの行く末は,まだ未知数といわねばならない。