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●東郷平八郎 とうごうへいはちろう

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 1847〜1934(弘化4〜昭和9)薩摩国鍛冶屋町(鹿児島市加治屋町)で,父は薩摩藩士東郷吉左ヱ門と母・益子の四男(五男一女のうち)として生まれる。17歳で薩英戦争に参加。維新戦争では鹿児島藩春日で参戦。阿波沖・宮古沖・箱館湾海戦に参加。明治4年2月イギリス留学,ケンブリッジとポーツマスで語学を習う。同7年商船学校卒業,英船ハンプシャーに乗り込み遠洋航海に参加,日本依頼英軍艦建造の監督のあと,比叡に乗って明治11年5月に帰国。同7月海軍中尉。同19年5月海軍大佐,のち病気療養全快のあと,同23年6月呉鎮守府参謀長。同24年12月巡洋艦浪速艦長となり,ハワイ革命・政変で居留民保護につとめた。同28年2月海軍少将となり常備艦隊司令長官として膨湖島を占領し,その後海軍大学長その他を歴任。同36年10月連合艦隊司令長官に就任を予定して常備艦隊司令長官となった。日露戦争時には,旅順港閉塞作戦,黄海海戦,旅順陥落とともにロシア艦隊撃滅,ついでバルチック艦隊との日本海海戦の勝利は,東郷平八郎をネルソンとともに救国の英雄視させている。戦後海軍軍令部長,同40年9月伯爵,同42年12月軍事参議官。大正2年(1913)4月元帥。同3年4月から10年3年まで東宮御学問所総裁となる。昭和になってもロンドン軍縮条約に強硬に反対するなど,海軍の元老的存在であった。昭和8年頃より喉頭癌におかされ,同9年5月30日没し,同6月5日国葬(日比谷公園)。墓は東京府中市多摩墓地と鹿児島市清水町多賀山公園にある。

〔参考文献〕小笠原長生『東郷元帥詳伝』1926