●核軍縮 かくぐんしゅく
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アメリカ軍は,1945年8月6日広島,8月9日長崎に原子爆弾を落とした。以来,核兵器は現在まで実戦で使用されたことはない。しかし,使用されなかったのは「恐怖の均衡」といわれる状態があったからだ。つまり,相手方に先制核攻撃をしても報復攻撃で自国もやられてしまうということが明らかであったからである。1980年代に入り,世界中の核弾頭は4万発とか5万発といわれ,実に広島に落とされた原子爆弾の130万発分にあたる。
このような状態に対し,世界中で反核の運動が起こった。特に,日本は唯一の被爆国として核兵器の全面禁止を目指した運動を続けた。このような運動と核兵器の開発維持にかかる軍事費の負担増などから核軍縮の機運が高まり1981年11月米ソ INF 交渉が開始された。
ここで,核兵器の種類について解説しておく。核兵器は,その使用目的,射程,爆発威力により大きく三種類に分けられる。(1)戦略核兵器 STRATEGIC NUCLEAR WEAPONS 大陸間弾道ミサイルなどの長距離運搬手段を用いて米ソ本土を攻撃するものである。(2)戦域核兵器 THEAT NUCLEAR WEAPONS 中距離地上発射ミサイル(SS20やパーシング II など)を運搬手段とするものである。これが限定核戦争を想定するものと誤解されないように現在では,中距離核戦略 INTERMEDIATE=RANGEER NUCLEAR FORCE と呼ばれている。(3)戦術核兵器 TACTICAL NUCLEAR WEAPONS 戦場での軍事目標の攻撃に使われる。
【米ソ核軍縮交渉の経過】1972年5月に第一次戦略兵器制限交渉 SALT I が調印されデタント(緊張緩和)時代の象徴とされた。その後SALT II,SALT III が提案されたが,アメリカ大統領レーガンは,これまでの SALT 条約はソ連側に有利であるとし,改めて戦略兵器の削減を目指すSTARTと名称を変更し,1982年6月にジュネーブでスタートした。しかし1983年11月西ドイツ議会がパーシング II の配備を決定したことにより,INF 制限交渉はソ連側により打ち切られた。また,同じ時 STARF の交渉もソ連核戦略の中心である ICBM に重点がおかれているとしてソ連が反発,交渉が中断された。その後,戦略核兵器をめぐる米ソの交渉は米ソ包括軍縮交渉に受け継がれることとなる。
1983年レーガン米大統領が戦略防衛構想 STRATEGIC DEFENSE INITIATIVE を発表した。これは,各種の先端技術を応用し,宇宙空間の全域で核弾頭を迎撃防衛する研究のことであり,通称 SDI という。これに対し,ソ連は宇宙兵器実験の凍結を目指し,1984年6月宇宙兵器禁止交渉を提案した。これに対しアメリカは,START や INF 交渉の再開を提案。1985年3月米ソ包括軍縮交渉がジュネーブで開始された。その後,交渉は INF などについて潜在的な合意に達していながら,SDI についての対立から交渉は決裂。
しかし,1987年に入ると,INF についての交渉は大きな進展を見せ,同年12月ワシントンで INF 全廃条約が調印された。この条約は,全部で17条から成り,米ソ両国は中距離ミサイルを破棄し,今後同種の兵器システムを持たないとしている。
これにより,今後の交渉は,戦略核の50%削減に重点を置くことになる。
【戦略兵器制限交渉 START】アメリカ側の提案では,(1)弾道ミサイルの数の上限を各850基とする。(2)弾道ミサイルの核弾頭数を5000発に減らす。これに加え,新型 ICBM を1基配備するごとに旧型2基を廃棄するというビルトダウン方式を提案した。これをソ連が拒否。
【中距離核戦力全廃条約 INF全廃条約】レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長の間で調印された条約。