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●イラン=イラク戦争 イラン=イラクせんそう

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1980年9月22日から1988年8月20日まで、7年11か月間イランとイラクの両国で行われた戦争。第二次世界大戦以降、2国間で戦われたものとしては最長。戦争が石油資源の宝庫である中東という産油地帯で起こったこと、イランのホメイニ革命を中心とするイスラム原理主義の行方がどうなるかということ、湾岸諸国およびヨルダン・エジプトがイラク支持、シリア・リビアがイラン支持でアラブ世界の分裂を招きかねない状況になったこと、国連がどのような働きができるのか、ということなどについて世界的に注目された戦争。

【戦争の背景と原因】一般的には、イラク側が仕掛けた戦いと解されているが、両国の間には歴史的・民族的・地理的な深い対立が続いてきた。イランはペルシア民族でイスラム教のシーア派が多数派を占めており、イラクはアラブ民族で、国内にはシーア派も多数いるがスンニー派が主導権を持っており、その確執は両国の建国のはるか以前にさかのぼるものがある。また地理的には、オスマン帝国の時代にまでさかのぼって国境紛争を起こしており、待にシャトル・アル・アラブ川については、その周辺の石油利権ともからんで、領有権が争われてきた。さらに両国にまたがって居住するクルド民族の扱いについても対立してきた。

 この戦争の直接的原因の一つは、1975年に両国で結ばれた「アルジェ協定」にある。この協定では、イラン側の主張する「シャトル・アル・アラブ川の中心を国境とする」一方、「イラク国内におけるクルド民族の自治運動に対して、イランが支援を中止する」という内容であった。しかし、イラクは、イランのこの協定の不履行を理由として宣戦している。第二の原因は、イランで起こった革命がイラクに波及することをフセイン大統領が恐れ、先手を打ったと考えられる。第三は、イラン国軍の弱体化に乗じ、国境紛争を有利に解決し、アラブの盟主たらんとして、ペルシア湾の覇権も握ろうとしたイラクのフセイン大統領の野望であったともいわれている。

【戦争の経過】戦争は、1980年9月22日イラク軍がイラン領に侵攻して始まった。最初は戦争の準備を早くから行っていたイラクが有利であったが、1981年に入るとイラン軍は南部戦線で反攻するとともに、非占領地の50%までを奪回し、1982年には逆にイラン軍がイラク領にまで侵攻するようになり、イラン優勢となった。これに対しイラクは、同年ペルシア湾北部の立ち入り禁止区域を拡大し、イラン有数の石油基地カーグ島の攻撃を始め、1984年にはペルシア湾航行中のタンカーを攻撃した。5月からはイラン側も報復を始め「タンカー戦争」が展開され、世界的な石油危機が懸念された。

 アメリカは、当初この戦争に対し中立を建前としてきたが、戦火の拡大が世界経済に及ぼす影響や、1987年イラク軍機による米海軍のフリゲート艦への誤爆、イランがホルムズ海峡に中国製ミサイルを配備し始めたことなどにより砲艦外交を開始し、国連とともに調停工作を進めた。

 1987年国連安保理は、両国の即時停戦を求める決議を全会一致で採択。形勢不利のイラク側は受諾したが、イラン側はフセイン大統領の裁判などを要求して拒否した。同年10月、ペルシア湾で米・イランが交戦し、米はタンカー攻撃への報復としてイラン石油基地を攻撃、1988年には米海軍によるイラン航空機撃墜事件も起こった。アメリカの介入により、再びイラク軍はイランに侵攻するようになり、同年8月20日、イランはイスラム革命を維持するため、停戦決議を受け入れ、戦争は終了した。


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