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●ECの統合 イーシーのとうごう

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 1973年にイギリス・アイルランド・デンマークが加盟した EC は,1981年にギリシア,1986年にスペイン・ポルトガルが加盟して,1990年に西ドイツが東ドイツを併合(ドイツ統一)して領域を広げ,1991年末現在12か国で構成,トルコとオーストリアが加盟を申請中。

 1970年代後半以後80年代初めまでの世界不況の広がりの中で,EC 諸国は国内問題の対応に追われ,経済統合は関税同盟のレベルにとどまった。1980年代に入って日・米の経済回復が進む中で,欧州経済は低迷を続け,日・米との貿易摩擦激化の下で EC 諸国は非関税障壁による保護主義的対応を強めた。とりわけマイクロ・エレクトロニクス革命を中心とする先端技術分野での遅れは危機感をつのらせた。保護主義の強化,企業の設備投資や技術開発の低調という悪循環が続いたためである。

 1970年代後半以来の EC 経済の長期的停滞・危機感の下で,本来の市場統合の必要性が再認識され,EC

委員会は1985年に『域内市場統合白書』,1986年に『単一欧州議定書』を採択し,1992年末までに非関税障壁の全廃,域内市場統合の完成を目指すことになった。『域内市場白書』は,廃止すべき非関税障壁として,(1)物理的障壁(輸入数量制限,動植物検疫などの検査,煩雑な文書の作成等の国境規制),(2)技術的障壁(基準や認証制度,政府調達手続きの相違),(3)財政的障壁(付加価値税,個別間接税等の税制上の相違)の三分野,約300項目(その後整理されて282項目)を指摘している。『単一欧州議定書』は,1957年調印のローマ条約の最初の本格的な改定であり,従来の全会一致方式に替えて,各国の経済規模に応じて異なる投票数を与える加重多数決方式を採用した。これにより1992年末までに,「モノ・ヒト・カネ・サービス」の完全自由移動の確保される「単一の国民経済の形成」が進められた。

 1991年6月の EC 委員会の報告では,上記(1)と(2)の撤廃は比較的順調に進んでおり,その後は(3)の税制の調整が最大の課題となった。統一市場完成の経済的効果は,国内総生産4.5%上昇,消費者物価6.1%低下,180万人の雇用増加と試算される。

 1989〜1990年のソ連・東欧の民主化,東・西ドイツの統一を背景にして,これまで市場統合の後とみられていた経済・通貨同盟(EMU)や政治統合が,市場統合と同時並行的に進められるようになった。

 通貨統合の動きは,1989年4月のドロール報告書を基本にして,1990年夏からその第一段階に入った。第一段階は欧州通貨制度(EMS)にすべての EC 加盟国が参加し,金融政策の協調を進める。第二段階で欧州中央銀行を設立して各国の金融政策の権限を徐々に委譲させる。第三段階で統一通貨を発行するとともに,金融政策を欧州中央銀行にすべて一元化するというものである。1990年10月には,通貨統合は国家主権を侵害すると慎重だったイギリスが EMS に全面的に参加し,イギリスを除く11か国は欧州中央銀行を1994年に設立することで合意した。

 人口3.2億人,GNP 4.7兆ドル(1988年)の EC の市場規模は,ほぼ米国のそれに匹敵するから,統合実現後の発展は世界経済の様相を変えると予想される。1990年12月には,EC と EFTA 間に共通の単一市場「欧州経済領域」(EES)創設の共同宣言が採択され,協議を続けている。加えて1991年のコメコン解体後の東欧やソ連が,西側経済との一体化を進めている。