●笑い話 わらいばなし
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散文形態の言語伝承の一種で,英語の joke などに当たるもの。その場に応じた話で聞き手の笑いを誘うものを言う。【意義と特質】広い意味の民間説話は,動物昔話と本格昔話と笑い話というように,大きく三つの部門に分けられているが,この笑い話の特質も,本格昔話などとの対比によっていっそう明確にとらえられるのである。もともと多くの笑い話は,それぞれ一つのモティーフから出来ていた。仮に長く引きのばされたものでも,本格昔話の場合と違ってだんだん話の形式をとっており,主人公の一代記風に語られるわけではない。本格昔話の世界がつねに現実の生活を超えているのに,笑い話の舞台は,おおむね現実の生活に止まっている。本格昔話の主人公は,どれも異常な能力をもっており,何らかの類型として取り上げられる。それに対して,笑い話の人物は,ほとんど現実の社会に生きるものでさまざまな事件によって描き分けられている。そこでは,愚直な者は損をするが狡猾な者は得をするというように,人間社会の矛盾や混乱がありのままに写し出される。それだけに笑い話という言語伝承は,こどもよりも大人に好まれ,女よりも男に好まれるのである。
【範囲と種類】日本の笑い話は,柳田国男監修の『日本昔話名彙』によると,大話・真似そこない・愚か村話に分けられ,関敬吾の『日本昔話集成』『日本昔話大成』によると,愚人譚・誇張譚・巧智譚・狡猾者譚に分けられている。どの類の笑い話も,何かしら事実とのつながりによってことさらに相手の関心をひこうとするのである。まことに心ない業ではあるが,どこか特定の村をさしてあたかも愚か者の集まりのように扱っている。たとえば,福島県の南山・茨城県の阿寺・持方・栃木県の栗山・千葉県の川津場・増間・長野県の秋山・川上・山梨県の奥道志・京都府の黒谷・兵庫県の横行・鳥取県の佐治谷・俣野・岡山県の湯船・広島県の越原・山口県の山代・杢路子・福岡県の野間・寒田・佐賀県の倉谷・長崎県の世知原・熊本県の五箇・大分県の津江山・宮崎県の高千穂・鹿児島県の日当山などが,それぞれの地方でそのような愚か村として知られている。実際に,山奥の村の暮らしは,町方の人々にとってかなり異様なものと感じられたであろう。しかし,それらの村について伝えられる話は,ある土地だけに限られるものではなくてよその土地にも行われるものである。さらに,一つの村の中でも,誰か決まったおどけ者がしばしば笑いの対象に据えられている。たとえば,北海道の江差の繁次郎・山形県の露藤の左兵・神奈川県の七沢の久助・長野県の伊那谷のウキサ・愛知県の下津具の新左・京都府の大迫のキンダ・広島県の越原の左衛門・高知県の中村の泰作・深淵の半七・窪川の万六・菜園場の与八・福岡県の福間の又兵衛・鐘崎の久市・佐賀県の唐津の勘右衛門(カンネ)・熊本県の八代の彦一・大分県の中津の吉吾・野津市の吉右衛門(キッチョム)・鹿児島県の日当山の侏儒などが,それぞれの地方でそのようなおどけ者として知られている。たいがいは,そういう名のおどけ者があって,村人の人気を集めていたと見られる。しかし,彼らのしわざと伝えられるのは,ほぼ型どおりの笑い話に属するものであった。なお,野津市の吉右衛門話などでは,ただ一人のおどけ者について,狡猾なふるまいとともに愚かなふるまいも伝えられ,明らかな矛盾を示している。たとえば,雉を見せながら「鳥はいらないか」とふれ歩き,買い手が現れると雉をしまって鳥を売りつけたと言う。また,前もって村人に牛の鼻ぐりを買うように頼んでおき,あとから自分が牛の鼻ぐりを売りに出かけたとも言う。そうかと思うと,砂糖で歯を磨き餅で顔を洗うとかそうめんと間違えて元結を買ってくるなどと,極端な愚かさを示すのである。それらの滑稽な言動がすべて一個の人物から出たものとは決められない。しかし,実際に多くの村の咄の者は狡猾さと愚かさとの両面を兼ね備えており,さまざまな笑い話の管理に当たったものと思われる。
〔参考文献〕柳田国男「笑の本願」『定本柳田國男集』7,1962,筑摩書房