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●笑い わらい

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 イヌが信頼する飼い主と遊んでいるとき,笑いとよく似た表情をすることがある。耳を水平にして後方に引き,口を少し開いて舌をのぞかせほとんど目に接するまで口角をつりあげる。さらに興奮が高まるとあえぎ始め,尻尾を高々と振り全身を震わせる。動物行動学者のロレンツによるとこの表情はエロチックな興奮状態のとき見せる表情とよく似ているという。

 人間の笑いは,「ワライ」(「ラーフ」)と「エミ」(「スマイル」)とに分けて考えねばならないが,本来的な笑いである前者は,このようなイヌの表情と同様に,口を大きく横に開き,歯を露呈し,横隔膜を激しく動かして呼気を断続的に発する全身に及ぶ痙攣的身ぶりである。それはもともとくしゃみやあくびなどと同じく発作的に生じるものであり,十分に調整はできない。したがって,さまざまな場面の枠組みや構造に対して,いつおこるがわからない笑いは本来逸脱的であり無構造的である。笑いがしばしばはばかられ,いつ笑ってよいかが作法の一部となるのは笑いのもつそのような性質のためである。

 そうした笑いはなぜ起こるのか。これは古来,多くの思想家を悩ませてきた問題である。代表的な説をいくつか挙げておこう。ホッブスによれば,笑いは他人に対して自分の優越を突如としてしかも明瞭に見た結果生ずるという。他人のしくじりを笑うという場合などが笑いのこの優越説の典型的な例証であろう。日本でも,柳田国男は笑いは攻撃のひとつの方法であると言い,日本人は他人に笑われないように振舞うよう教えられてきたことを指摘しているが,これも優越説と大同小異の理論と言えよう。これらに対して,矛盾し対立するもののうちに笑いの起因を求めようとする立場もある。ベルクソンは,「生けるものの上に貼りつけられた機械的なもの」が笑いを催させると考える。人が物と化した印象を与えるとき,われわれは笑うというのである。さらに,精神分析を理論化したフロイトは,大人らしいものに潜む子供らしさが笑いを生むと説いた。

 他にも数多くの笑いの理論があるが,そのほとんどは上記の理論の修正ないし変奏である。

 ただ,笑いをひきおこす機構はさておき,笑いが生じるにはひとつの場面的条件が必要である。それは,イヌが人間の笑いに似た表情をするのは,愛する主人と戯れるときであったように,相互性という条件である。すなわち笑うには相手が必要であり,しかもその相手は親しみを感じる者でなければならない。そのことを端的に例証するものに,くすぐり笑いという現象がある。これはすでにチンパンジーなどの類人猿にも見られるものだが,自分で自分をくすぐっても笑いは生じないのである。ベルクリンはこのことを,笑いには「反響」がいる,しかもそれはある囲われた範囲(仲間)のなかの「反響」でなければならない,と述べている。

 また,笑いの対象としては,性愛や排泄物にかかわる事象が笑いを惹き起こすというのは,世界に広く認められる事実である。オスウマがメスウマの糞尿のにおいを嗅ぐと,頭をのけぞらせ上唇をめくらせて口を開き,鼻の孔を大きく開けて笑っているような表情を見せる。これはドイツ語で「フレーメン」と言われる,ウマやウシの他ライオンなどの猛獣にも表れる表情だが,笑いが系統発生の上からも性愛や排泄と結びついていることを示唆するものだろう。それらの現象はふつう社会生活からは隠蔽されている。その隠された生の側面が明るみに出されるとき,笑いという無構造的な痙攣的発作が爆発するのである。笑いがこのようにまだ社会化されざる生の一面の表現であるからこそ,日本の各地の「笑い祭」のように,神事として笑うことを通して,老化した生命の再生が祈念されたりするのだろう。

 以上述べた「ワライ」が全身的かつ聴覚的身ぶりであるのと対照的に,「エミ」,「ホホエミ」は顔面に限定的で視覚的である。後者はチンパンジーなどが見せる,口を開けて声をたてず歯を引き出すしぐさに通じるもので,「ワライ」とは系統発生的にも異なる。チンパンジーの場合,この表情は相手への服従から親愛感までさまざまな反応を表現するが,人間においても「エミ」は「ワライ」よりはるかに微妙な感情を伝達する。また,いわゆる「微苦笑」に見られるように,左右非対称の表情が少なくないのも「エミ」の特徴と言える。