●ワーズワース
ヨーロッパ 英国 AD1770 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1770〜1850 イギリスの“大ロマン派”を代表する詩人。イングランド北西部の“湖水地方”として有名な美しい風景の丘陵地帯,カンバーランドのコカマスに生まれた。この湖沼地方の自然が彼を育て,彼の詩のなかに生き続け彼の救いとなった。父は地主の訴訟代理人兼地代取立人であり,母は町の商家の出。兄が一人,すぐ下に妹ドロシー(1771〜1855),その下に弟二人がいたがドロシーは詩人と年子であり,また一番長生きをして生涯兄の身近で彼を支えた。詩人が数え年8歳のとき母が,13歳のとき父が貧窮のうちに死んだために,兄妹は親戚や知人に別々に預けられた。ワーズワースがケンブリッジのシンジャン=カレッジに在学中にフランス大革命が起こり,在学中と卒業後と二度フランスに渡り,革命の輝しい理想に若い情熱を燃え上がらせた。そのころ,1792年22歳のときに,ブロワの外科医の娘で25歳のアネット=バロン(1766〜1841)と恋に落ち,その年のうちにキャロラインという娘をもうけた。だが恐怖政治が進み,イギリス・フランスが交戦状態になり,詩人は革命への大きな幻滅と,アネット母子との生き別れの苦悩をなめねばならなかった。そのとき彼の魂を救ったのがイングランドの故郷の田園であり,妹のドロシーであり,親友の詩人コールリッジであった。彼は田園に住みながら,コールリッジとの共編で『抒情民謡集』(1798)を初め,ルーシーという名の娘を主題にした何篇かの珠玉の小篇のバラッドや,『テインターン修道院』『霊魂の不滅を思う歌』,そして半生の自伝を素材にした瞑想詩の大作『序曲』(1805)を著した。これらはみな1810年ごろまでに書かれたものである。1843年ロバート=サウジー(1774〜1843)の後を受けて桂冠詩人となった。なお妹のドロシーの日記(“Journals of Dorothy Wordsworth”2vols, 1941)はワーズワースを知る上で大事な,そして興味深いものである。〔参考文献〕加納秀夫『ワーズワス』新英米文学評伝叢書 1955,研究社
加納秀夫『英国ロマン派の詩と想像力』1978,研究社
前川俊一訳『抒情詩集』(抄)『二巻の詩集』(抄),世界名詩集大成第9巻イギリス篇 I 所収,1959,平凡社
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