●倭館 わかん
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(1)李氏朝鮮政府が日本から通交特使のために設けた客館。日本では和館と書く。15世紀初年薺浦(せいほ)=乃而浦(ないじほ),富山浦(釜山浦),1419年(応永26)塩浦を加えて三浦と京城の東平・西平の二館への日本人の居留と貿易が認められた。1510年(永正7)の三浦の乱で閉鎖され,12年薺浦のみ再開,1421年(大永1)に釜山浦を加え,1444年(天文13)国交中絶,1447年復交して釜山浦一港となり,16世紀末豊臣秀吉の出兵で断絶した。1609年(度長14)慶長条約で釜山浦に倭館が再設され,接待貿易と対馬島民の居留に供され,明治維新まで存続した。(2)朝鮮慶尚北道漆谷郡倭館面の地名。文禄の役で日本軍が駐屯したのでこの名がついた。京城と釜山の中継場として,洛東江を利用した兵站(へいたん)の要地として城が築かれた。以上二つの意味に用いられているが,ふつうは(1)の意である。