●若者宿 わかものやど
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この呼称は,(1)若者組の集会場,(2)若者たちの宿泊所・たむろする建物,(3)若者たちの仕事場,の以上いずれにも用いられるとともに,そこには娘たちによる娘宿と区別した意味も込められている。(2)は,寝宿・泊り宿・遊び宿などとも呼ばれるものであるが,(1)と(2)や,(2)と(3)を兼ね備えた施設もある。若者組は,青年型と青壮年型の二種類に大別されるが,いずれも(1)の意味での若者宿は所有していた。ただし,西日本に比較的色濃く分布していた青年型の若者組の集会場は(2)の宿泊所を兼ねた型が多かった。すなわち,青年型の若者組の分布と(2)の寝宿などの分布はかなり重なるとともに,ムラのなかに数軒設けられた寝宿や遊び宿の一つが集会場としても兼用されたのである。一方,青壮年型の若者組には(2)を伴うものは少なく,ただまれに宿泊所を兼ねた集会場があったにすぎない。(3)は主として漁業と結びついていた。夜間の出漁に備えて若い舟子たちが宿泊したり,網のつくろいをしたりする場所であり,したがって網元の家の一部が当てられたりした。ところで,若者組の集会場として神社の一部や庵などが利用された例もあるが,一般的には(2)と同様に民家の一部を借用する場合が多かった。大きな構えの家・気易く借りられる家・老人夫婦の家とか新婚夫婦の家などが選ばれ,そこで正月の初寄合いとか制裁のための集会が開かれたのである。また祭礼に際しての演し物の準備作業をそこで行うこともあった。民家を一時的に借用する場合は別として,寝宿としても使用するときには,宿の主人夫婦が宿親,寝泊りする若著は宿子となり,宿親が宿子に忠告や助言をし,若者が宿を脱けた後も生涯にわたって両者の間に親密な交際が続けられた。また借用期間の長短にかかわらず,若者から宿に対して謝礼として食料品や雑貨品などが贈られるのを常とした。なお近代に入り,若者組が青年会や青年団などの新しい組織に改編されるに伴い,青年倶楽部といった名称の青年専用の半永久的な建物が各地につくられた。しかし名称は変わっても,今でも若者宿時代の慣習を多分に残している例が,西日本の漁村部には時おり残存している。〔参考文献〕有賀喜左衛門「日本婚姻史」『有賀喜佐衛門著作集6』1968,未来社
瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』1972,未来社