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●若者組 わかものぐみ

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 今日の青年団・青年会の前身母体となった青年集団で,伝統的な年齢集団の一つ。若者組という名称は,さまざまな呼称の一つが学術用語化したものであり,この他に東北地方の日本海側に分布するワカゼ(若勢)・東北地方から九州北部の日本海側に点在するワカテ(若手)・九州南部から沖縄にかけてのニセ(二才),その他,若者・若い衆,改まった表現として若連中などがある。若者組の存在は史料上は江戸時代の初期までさかのぼれるが,史料が偏在していることと断片的であるためそれらの形態は必ずしも明らかではない。しかし,明治時代以降に採録された伝承資料によると,北は北海道から南は沖縄に至るまで村落部はもとより,伝統のある町方にも広く分布していたことが知られる。北海道に存在した若者組は,主として明治以降の本土からの移住者によってもたらされたものと考えられる。

【若者組への加入】加入年齢は地方によって異なるが,数え年15ないし17歳という例が一般的である。ただし,長男が15歳で加入する場合に次,三男は16,17歳で加入するというように,長男と次男以下で差別をしたり,ごく稀には親が特別に頼み込んで10歳前後で形式的に加入して名簿に載せてもらうという例もある。また,他村から来た聟養子は,どんなに年長でも2〜3年間は若者組の務めが義務づけられていた。成年式との関係では,成年式をすませた後に若者組へ加入するものと,若者組への加入式が成年式に相当するものとがある。後者の形態は事例数は比較的少ないが,成年式の本質からしてこれが本来の姿であったと見られる。いずれにせよ,若者組へ加入することにより労働・行政・性などの分野で地域社会から一人前と見なされることが多かったから,若者組への加入は本人やその家族によって晴れがましい出来事であった。加入日は正月の初寄合いの折というのが圧倒的に多いが,夏祭りの際の寄合いなどに加入する例もある。出席に際しては,若者組を脱けた年配の先輩とか親類の者あるいは本人の親がつき添い,酒1升を携えて会場の若者宿へ赴く。会場では若者頭を正座に若者たちが年齢順に着座しており,新入りの者は付添人とともに下座に座って加入式が開かれる。付添人による加入者の紹介と挨拶,若者頭による訓示や規約の読み聞かせなどが終わると杯が交され宴会に移る。新入りの者は小若い衆の一人としてただちに雑役に携わる。式のなかで,新入りの者を三角薪の上に座らせるといった肉体的試錬や,加入前の不良行為が糾弾される例も東海地方にはしばしばあった。規約は,規定・掟・条目・条々などと呼ばれ,岩手・長野・静岡・愛知の各県のように成文化されたものの多い地方もあったが,明治以降に成文化されたものを除けば一般的には口伝の規約であったと見られる。規約では主に長上による命令と長上への礼儀のそれぞれ遵守が謳われ,違反者に対する制裁措置についても述べているのがふつうである。

【若者組の類型】若者組にはさまざまな形態があるが,年齢構成のあり方から青年型と青壮年型に大別される。加入はいずれも15ないし17歳であるが,青年型は結婚または25歳ごろに脱退する未婚者集団型であり,一方の青壮年型は33歳とか42歳までの既婚者をも含む型である。青年型に見られる傾向としては,兄弟が若者組へ全員加入すること,若者組内の年齢階梯制はさほど発達していないこと,寝宿としての若者宿をもつことと言える。それに対し青壮年型では一戸一人,すなわち長男単独加入の型が比較的多いこと,年齢階梯制が概して発達していること,寝宿を必ずしももたないことが特色である。機能面での大きな差異は,青年型が寝宿を拠点として娘と交流し婚姻の媒介機能を強くもつのに対し,青壮年型にはその点が稀薄なことである。分布は,青年型が西日本に,青壮年型が東日本にそれぞれ比較的色濃く集中している。東北地方の若者契約講などは後者の一類型であり,また静岡県の伊豆地方で発達を見た若者組にも青壮年型の要素が付随している。そうした東西の差違は,単に当該地方の村落構造の違いのみではなく,はるか往時の民族ないし種族文化の異質性を物語るものと考えられる。ただし,青年型と青壮年型が一地方に併存していることがあるばかりか,一地域に両者の重層型が存在することがあるのは注目を要する。それは,青年型を下部組織として,その上部に新たな組織立った青壮年型の若者組が再編された形態と見なすことが可能だからである。

【若者組の構造】若者組は,さまざまな年齢集団のなかで最も年配序列の原理が発達した集団である。したがって寄合いでの座順は年齢順であり,また常日頃も若者たちは年長者に絶対服従が強いられる。さらに若者組の特色は,組織内に年齢階梯制が見られる点である。青年型の若者組の場合,階梯制はさほど顕著ではないが,しかし新入りの若者たちから成る小若い衆という階梯は,いかなる若者組にも存在したのであるから,階梯制が顕著に形成されていない若者組でも,最底二階梯はあったことになる。他方,年齢階梯制の発達した若者組では,組内が4〜5の階梯から成るものもあった。若者組内の階梯がいくつも明確に定まってるということは,常日頃から各階梯の役割分担が定められていることを意味する。すなわち,使い番は炊事・接待・掃除・下足番といった雑役や走り使い。小若い衆は祭礼の幟立て・倉庫の土用干・そのほか力仕事。中老は祭礼の飾りつけ・倉庫の鍵の管理。宿老は若者宿の管理・宴会などの采配・漁獲物の処分・会計などをそれぞれ分担する。そして若者頭は各階梯の頭たちよりもはるかに大きな権限と責任の下に若者組を統轄したのである。なお東子浦の場合,中老や宿老は若者組内部のそれぞれ一階梯を成しているが,それらが若者組よりさらに上位の階梯をなす例もある。各階梯の名称や,時には機能も地方によって異なることは稀ではない。

【若者組の機能】若者組の機能は(1)信仰行事,(2)民俗芸能,(3)村仕事,(4)婚姻・婚礼,(5)躾・制裁,(6)娯楽の以上6項目に分けられる。(1)としては氏神祭りの折の神輿かつぎや山車曳きの他,準備作業や跡かたづけが若者組の普遍的な任務であった。(2)は(ア)獅子舞い・太鼓踊り・念仏踊り・盆踊りなどの風流,(イ)歌舞伎・浄瑠璃・三番叟などの芝居,(ウ)裸祭り競馬・相撲,(エ)お囃子・綱引きなどであるが,これらの大半は若者組と関わりがあった。芝居にしても自ら上演するのでなければ,専門の役者を招いて興行するのも多くの場合若者組であった。(3)村仕事としては消防や警防,急病人のための医者迎え,漁村なら難破船の救助など,災害時の出動と救援,あるいは災害の防止活動が主なものである。(4)については,娘組や娘宿の有無にかかわらず,若者組とムラの娘たちとの関わりは強いものがあり,若者組にはムラの娘は自分たちのものだという意識があった。青年型の若者組は,寝宿を拠点とする配偶者の選択を重要な機能としていたが,青年型・青壮年型を問わず,婚前自由性交渉としてのヨバイは若者組の管理下にあったし,青壮年型の若者組とても婚礼との結びつきは深かった。娘の結婚には若者組の承認と祝福とを要したのである。(5)一般に,若者組へ加入すればムラでは一人前の若者と見なされた。しかし小若い衆の時期には先輩から長上に対する礼儀作法を徹底的にしつけられたから,名実ともに一人前となるのは小若い衆から上の階梯に昇進したときと言える。若者組の制裁は,(a)若者組内で小若い衆に対してなされるもの,(b)制裁が家族にも及ぶもの,(c)若者組によって一般の村人に対してなされるものの三例がある。代表的な制裁はハチブであるが,小若い衆に科せられたハチブでも,若者組加入時の付添人が保証人として間に入り謝罪することによって許されるのがふつうであった。(6)娯楽としては,力石や相撲,そのほか種々のバクチがあったが,これらはいずれも古くは卜占の意味をもつものだっだ。なお,地域社会における若者組の権勢は強いものであった。青壮年型の場合には中堅の男たちが含まれていたからでもあるが,若者組そのものが氏神祭りで重要な役割を果たしていたばかりでなく,民俗芸能や村仕事においてもまた不可欠の存在だっだからである。

〔参考文献〕有賀喜左衛門「日本婚姻史論」『有賀喜左衛門著作集6』1968,未来社

関敬吾「年齢集団」『日本民俗学大系3』1958,平凡社

瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』1972,未来社

平山和彦『青年集団史研究序説,上』1978,新泉社

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