●若槻礼次郎 わかつきれいじろう
アジア 日本 AD1866 江戸時代
1866〜1949(慶応2〜昭和24)島根県出身の政治家。東大法卒後,大蔵省に入り主税局長などを経て,1906年(明治39)大蔵次官。1912年(大正1)第三次桂太郎内閣ついで1914年第二次大隈重信内閣の大蔵大臣。加藤高明とともに憲政会に入党,副総裁として護憲運動に参加。1924年護憲三派連立の加藤内閣で内務大臣となり治安維持法を作成。加藤の死後,憲政会総裁となり,1926年組閣し金融資本擁護の政策を行ったが,1927年(昭和2)の恐慌への対策で枢密院や政友会と対立して総辞職。1930年ロンドン海軍軍縮会議の首席全権として条約の締結にあたった。1931年浜口雄幸が倒れたのち民政党総裁となり第二次内閣を組織し,官吏減俸などの緊縮政策と金本位制の維持を図る。満州事変後,軍部と協力しようとする安達謙蔵内相らを抑えきれず引責辞職。以後敗戦まで重臣の地位にあった。著書『古風庵回顧録』。政党人になりきれない官僚的性格だった。
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