●倭王武の上表文 わおうぶのじょうひょうぶん
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いわゆる倭の五王の最後に登場するのが倭王武である。『宋書』「夷蛮伝」によると,倭王興の死後弟である武が王となり,478年(昇明2),中国南朝に使を遣わした。このときの上表文に,“昔より祖禰(そでい)躬ら甲冑を※注1※(つらぬ)き,山川を跋渉し,寧處に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国。…〉と,周辺諸国を攻略し,勢力を拡張した様子が記されるとともに,朝鮮半島における高句麗勢力への対抗を強調し,開府儀同三司を自称している。宋朝も武王を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に叙している。当時倭は宋朝の威のもとに朝鮮半島への影響力確保を図っており,宋は北魏への対抗から朝鮮諸国・倭国との外交を展開していた。武王は雄略天皇に比定されており,倭政権の伸長と,当時の国際関係からこの上表文も理解されなくてはならない。