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●隈板内閣 わいはんないかく

アジア 日本 AD1898 明治時代

 1898年(明治31)6月30日から11月8日までの第一次大隈重信内閣を通称して,隈板内閣と言う。内務大臣板垣退助を副総理格とした両者の協力で組織されたからである。その以前,日清戦争後に藩閥政府批判が高まり,大隈らの進歩党と板垣らの自由党の合同が成って憲政党を結成,衆議院で多数を占めるに至った。それがきっかけとなって第三次伊藤博文内閣は総辞職。伊藤は,元老らが後継首班を引き受けないので,後継者に大隈・板垣を推薦した。日本初の政党内閣の誕生である。しかし憲政党内には,自由・進歩両派の対立感情が存在し,組閣時などに互いに官職を争うなどして対立はエスカレートしていった。さらに星亨や,前内閣から留任していた桂太郎陸相・西郷従道海相らの分裂工作もあった。8月に起こった尾崎行雄文相の「共和演説卒件」では,官僚派の攻撃に自由派も同調し,10月尾崎辞職後の後任争いで対立の事態は絶望的となり倒閣に至った。