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●ロンドン条約 ロンドンじょうやく

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 19世紀以来,ロンドンで締結された国際協定は十以上あるが,そのうち主なものは次の通りである。(1)1827年の条約。ギリシア独立戦争(1821〜1829)に際し,ロシアはギリシア側を支援し,イギリスもギリシア独立軍に軍事的・財政的援助を与えたが,フランスはエジプト支持を通じてトルコ側に立っていた。そこで,イギリス・ロシアはフランスを説いて,1827年にロンドン条約を結び,戦争を調停してギリシアの半主権的地位を認めようとしたのである。しかし,トルコがこれを拒否したため,三国は連合艦隊を派遣しナヴァリノの海戦でトルコ・エジプト艦隊を撃破した。その後,1829年にロシア-トルコ間でアドリアノープル条約が結ばれて両国はギリシア独立を承認し,さらに1830年のロンドン会議でイギリス・フランスもギリシアの独立を認めた。(2)1831年の条約。ベルギーはウィーン会議の決定によりオランダに併合されたが,1830年のフランス七月革命から強い刺激を受け,独立の気運が盛り上がった。すなわち,当初下層市民を中心に始められた武装蜂起に,貴族・上層市民らも加わり,彼らは10月に仮政府を建て,独立を宣言したのである。これに対し,イギリス・フランス・ロシア・オーストリア・プロイセンはロンドン会議を開き,翌年の条約で立憲王国としてのベルギーの独立を承認した。(3)1840年の条約。ギリシア独立戦争後,エジプト大守メフメト=アリーはトルコよりキプロス・クレタ両島を与えられたが満足せず,シリアを攻撃して第一次エジプト事件(1831〜1833)を引き起こした。このときロシアはトルコを援助して派兵したが,イギリス・フランス・オーストリアがトルコ-エジプト間の和解をなさしめた。ところが,1839年にトルコがアリー討伐の軍をおこして第二次エジプト事件(1839〜1841)が始まると,イギリスは翌年,ロシア・オーストリア・プロイセンを誘ってロンドン条約を結び,干渉と仲裁に乗り出したのである。結局,エジプトは孤立して屈服し領地をエジプト・スーダンのみに限定された。(4)1913年の条約。第一次世界大戦直前,バルカン半島には二度にわたる戦争が勃発した。第一次バルカン戦争(1912〜1913)は,セルビア・ギリシア・ブルガリア・モンテネグロの四国間で結成されたバルカン同盟とトルコとの間で行われた。1912年末よりロンドンで講和会議が開かれ,一度は話し合いがつかずに失敗した後,1913年5月にようやくロンドン講和条約が成立した。これによりトルコはイスタンブル周辺を除いて,ヨーロッパの領土をほとんど失ったのである。(5)1915年の条約。第一次世界大戦中,イギリス・フランス・ロシアの協商諸国がイタリアと結んだ秘密条約。イタリアが協商国側について参戦する代償として,南チロル・トリエステダルマティア海岸・小アジアの一部の割譲,アフリカ植民地の拡大などが約束された。この密約により,イタリアは三国同盟を破棄し協商側への参戦に踏みきったのである。ところが,ロシア革命後ボルシェヴィキ政府がこの密約を暴露し,戦後のヴェルサイユ条約ではこの密約の多くは果たされなかった。(6)1930年の条約。ワシントン条約を改訂し,アメリカ・イギリス・日本の三国間での補助艦保有比率を10:10:7に定めた海軍軍縮条約