●ロンドン海軍軍縮条約 ロンドンかいぐんぐんしゅくじょうやく
アジア 日本 AD1930 昭和
1930年(昭和5)のロンドン会議において締結された条約で,ワシントン条約の改訂と補助艦保有比率の決定の二部から成る。【条約の内容】まず,アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本の五国間で,ワシントン条約の改訂について次の諸点が決められた。(1)主力艦代換の期間を1931年から1936年まで延期する。(2)主力艦数をアメリカ・イギリス15隻,日本9隻とする。(3)1万t 以下の航空母艦も制限t 数内に含ませる。
次に,補助艦保有制限については,フランス・イタリアが参加を拒んだため,アメリカ・イギリス・日本の間で,比率10:10:7が決められた。日本としては,(1)補助艦総t 数対アメリカ7割,(2)8インチ砲巡洋艦対アメリカ7割,(3)潜水艦絶対保有量7万8,000t の三大原則を主張したが,(1)しか認められず,この条約を1935年までの暫定的なものとしてようやく承諾したのである。
【日本国内の反応】ロンドン会議に出席した日本全権は若槻礼次郎・財部彪・松平恒雄であり,彼らは要求にほぼ近い成果を得た。ところがこの条約に対して軍部と右翼は強い不満をもち,政府と枢密院との論議も3カ月もかかってようやく枢密院で批准された。これを機に軍部と右翼が結合して,条約推進派の政治家・軍人への攻撃を強め,浜口首相暗殺未遂事件を起こし極端な国家主義的運動が台頭する一因となった。