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●ロンドン会議 ロンドンかいぎ

アジア 日本 AD1930 昭和

 イギリスの主催により,ワシントン条約の改訂ならびに補助艦問題を審議するため,1930年(昭和5)1月〜4月に,イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・日本の5カ国間で開かれた。

【開催に至る経緯】ワシントン会議における海軍軍縮条約により主力艦の保有が制限されたため,各国は補助艦を増強し制限をカバーしようとする動きを始めた。そこで,アメリカの提唱により,1927年にジュネーブで会議を開き補助艦軍縮を討議することになった。しかし,この会議にはフランス・イタリアが参加を拒絶し,結局,アメリカ・イギリス・日本の三国で開催したものの,保有比率をめぐってアメリカ・イギリスが対立し決裂で終わってしまった。ふたたび列強間に補助艦拡張競争が開始されるなかで,1928年に不戦条約が成立し,国際協調と軍縮を求める気運も高まってきた。1929年,イギリスで第二次労働党内閣を結成したマクドナルドは,アメリカを訪れてフーヴァー大統領と予備交渉を行った後,1930年1月,アメリカ・フランス・イタリア・日本に対し,ロンドン会議を招請したのである。

【会議の経過】ロンドン会議は1月21日から4月22日までの3カ月に及び,難航した。アメリカ・イギリスは主力艦と同様に補助艦でも均等にすることで合意したが,日本とアメリカの間で比率をめぐる対立があった。一方,フランス・イタリア間でも,イタリアの同比率の主張をフランスが受け入れず,結局,両国は協定に参加しなかった。そして,最終的には日本は米英側の要求を受諾し,ここにロンドン海軍軍縮条約が三国により調印されたのである。

【会議の意議】ロンドン会議は,ヴェルサイユ体制下の国際協調気運の一環として開かれたものであり,ワシントン会議を補完する意味をもっていた。しかし,この会議の数カ月前にアメリカで発生した大恐慌の波は世界を覆いつつあり,やがて全体主義が台頭するなかで国際緊張期を迎えるという転換期に立っていた。したがって,せっかくの会議もその成果は定着せず,5年後に予定された新条約協定会議は開かれないまま軍縮条約は消滅してしまい,第二次世界大戦へとつき進む。