●竜山文化 ロンシャンぶんか
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1928年,山東省章丘県竜山鎮城子崖で新石器時代の遺跡が発見され,竜山文化と名づけられた。その後,山東地域や黄河中流域に類似の新石器文化が続々と発見され,これらをすべて竜山文化と称してきたが,1959年に発見された山東地域の大※注1※(ぶん)口文化,その他の遺跡の調査研究が進むにつれ,山東地域の竜山文化は大※注1※口文化を,黄河中流域の竜山文化は仰韶(ヤンシャオ)文化を,それぞれ継承発展させたものとわかり,両文化は本来は異なる文化系統に属することが判明した。最近の中国では,両者を明瞭に区別し,山東地域のものを典型竜山文化と言い,黄河中流域のものを黄河中游竜山文化と称している。 典型竜山文化は,山東省を中心に北は河北省から遼東半島南部に,南は江蘇省中部に分布し,年代はほぼ紀元前2400年から紀元前2000年に当たる。住居は,円型の半地下式や地面建築で,他に長方形土台式建築で版築を用いたものもある。石器は磨製が大部分で,かなり精巧な斧・手斧・のみ,双孔半月形または長方形の刀,柳葉または菱形の鏃があり少量の細石器もある。城子崖などでは,貝製の刀・鎌・鏃などや骨角器がやや多く出土している。豚などの家畜がおり農耕や狩猟などが行われていた。土器の製作技術は進みロクロが一般に使用されて造型が整い,焼成温度が高く硬質となった。黒陶・灰陶が多数を占めるが,器壁が均一に薄くて光沢のある泥質黒陶が代表的なものである。器表は無文の他,弦文・竹節文・透かし孔などがつけられ,少数の大型砂質陶には籃(らん)文がある。器形には,鼎・豆・盤・盆・杯などがあり,三足や圏(けん)足の器が多く,ふた・取手・耳・注ぎ口などをつけた器も多い。中でも,ごく薄い卵殻黒陶高柄杯は,精巧美麗な芸術的傑作である。玉器には,斧・珠などがある。なお黒陶片と石手斧に,殷周時代の青銅礼器にある雲雷文と饕餮(とうてつ)文に似た文様がある。また銅の錐形器が発見され,黄銅と鑑定されている。動物肩胛骨の卜骨が出土し,占卜が行われていたことが知られる。墓葬は貧富の差が明らかで,豚の随葬も続いている。なお,典型竜山文化と殷文化の間を埋めるものに岳石類型があり,山東省平度県東岳石村遺跡を標準とし,山東省中心に江蘇省北部に分布し,年代はほぼ紀元前1900年から紀元前1700年ごろに当たるようである。黄河中流竜山文化は,主として陝西省・河南省・山東省南部・河北省南部・山東省西部・安徽省西北部に分布し,大別すれば,前期の廟(びょう)底溝二期文化と,後期の河南竜山文化・陝西竜山文化・竜山文化陶寺類型となり,年代はほぼ紀元前2800年から紀元前2000年に当たる。
廟底溝二期文化は,河南省陝県廟底溝遺跡文化層の中層を標準とし(下層は仰韶文化),陝西・河南・山西三省の境界地域を中心とする潼関区と,洛陽・鄭州を中心とする鄭洛区に分けられる。住居は円形半地下式で床は白灰面である。住居内に多くの袋形貯蔵穴があり,住居近くに窯址と共同墓地がある。石器には打製もあるが磨製がやや増加して,重厚な斧・半月形の刀や鎌などの進んだものが現れる。また貝鎌や木製双歯の耒(らい)も現れ,農業の発達が推測される。家畜には,豚・犬・牛・羊・鶏がおり,石・骨・貝製の鏃や網錘などの出土で狩猟・漁労も行われていたことが知られる。土器は厚手で一部ロクロが用いられている。灰陶が主で黒陶がやや少なく少量の卵殻黒陶もある。横籃文が主で縄文がこれに次ぎ,方格文はごく少なく透かし孔もある。彩陶はごく少なく,大口深腹盆の上半部に黒彩網状文がある。廟底溝二期文化の年代は,ほぼ紀元前2800年前後に当たるようで,仰韶文化から河南竜山文化へ移行する過渡期の段階にあり,黄河中流域における最早期の竜山文化である。
河南竜山文化は,河南省・陝西省東部・山西省西南部・河北省南部・山東省西部・安徽省西北部に分布し,主要な五類型がある。(1)王湾類型は,河南省洛陽市王湾などを主要遺跡とし,洛陽を中心とする伊水・洛水流域に分布し,鄭州地区も含まれる。(2)後岡類型は,河南省安陽市後岡などを主要遺跡とし,河南省北部・河北省南部・山東省西部に分布する。(3)王油坊類型は,河南省永城県王油坊などを主要遺跡とし,河南省東部・安徽省西北部に分布する。(4)三里橋類型は,河南省陝県三里橋などを主要遺跡とし,河南・山西・陝西三省の境界地域に分布する。(5)下王崗類型は,河南省浙川県下王崗を主要遺跡とし,河南省西南部の丹江流域に分布する。
河南竜山文化において,住居の多くは半地下式で白灰面の床があるが,後岡では地面建築で版築の土墻がある。河南省登封県王城崗と准陽県平浪台では,版築の城堡が発見されて注目を浴びた。住居址には井戸のあるものがあり,また近くに窯地,遠くに墓地がある。幼児はかめ棺葬で,住居の近くか住居の下に埋められており,人の随葬らしいものや豚の随葬もある。墓葬には貧富の差が明らかである。土器は灰陶が主で黒陶がこれに次ぎ,ロクロもしだいに用いられてくる。器表は無文・磨光の他,縄文・籃文・方格文などがつけられ,後岡・三里橋両類型では縄文が,王湾・王油坊両類型では方格文が主である。王湾類型は,河南竜山文化の中心に位置し,接続する殷代早期の二里頭文化と関連して夏文化の存在が論議されている。後岡類型と王油坊類型は典型竜山文化と,三里橋類型は陝西竜山文化と,下王崗類型は屈家嶺文化と,それぞれ隣接地域の文化と関連がある。河南竜山文化の年代はほぼ紀元前2600年ごろから紀元前2000年ごろに当たるようである。
陝西竜山文化(客省荘二期文化)は,陝西省長安県客省荘・臨潼県姜(きょう)寨などを主要遺跡とし,主として陝西省の渭(い)河流域に分布している。住居は,客省荘では多く呂字形の半地下式で二室あり,姜寨では円形・方形の地上式か半地下式である。窯址・墓地・貯蔵穴があり,石器・骨器・土器・玉器が出土している。中には農耕用の骨鋤がある。土器は灰陶が主で紅陶もあり,文様は縄文・籃文が多く方格文はごく少ない。
竜山文化陶寺類型は,山西省襄汾(じょうふん)県陶寺などを主要遺跡とし,山西省西南部の汾水流域に分布しており,年代はほぼ紀元前2400年前後に当たるようである。住居の床に白灰面があり,住居近くに窯址・貯蔵穴・墓地がある。農工具には石器の斧・手斧・刀,三角形の犂(り)形器があり農耕の発達が推測される。土器は灰陶が主で少量の黄褐色・磨光の黒陶もある。早期の土器はやや厚く縄文が主で籃文・方格文がやや少ない。釜など一連の炊器の他,罐形・鼎・罐・盆・扁壺などがあり,中には,廟底溝二期文化や河南竜山文化に近いものもある。晩期の土器はやや薄く,籃文が主で縄文・方格文はやや少ない。中には河南竜山文化三里橋類型に似たものもある。
〔参考文献〕中国社会科学院考古研究所編著『新中国的考古発玖和研究』1984,文物出版社
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