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●ローリンソン

ヨーロッパ 英国 AD1810 ハノーヴァー・ウィンザー朝

 1810〜1895 イギリスのアッシリア学者・軍人・外交官。オックスフォード生まれ。1826年,東インド会社に入り軍人の道を歩んだ。インドに赴く船中でボンベイ総督ジョン=マルカムに会ったことが後年のローリンソンを生み出すことになったと言われる。総督はオリエント学にも造詣が深く,青年の心にペルシア研究の夢を植えつけた。彼は,インドでペルシア語やアラビア語の勉強を始めた。軍人としての彼は第一次アフガン戦争に従軍して武勲大であったが,オリエント学への夢は断ち難く将軍への道から外交官に転職し,バグダード駐在のイギリス領事となった(1844)。軍人として各地に勤務する間に有名なベヒスタン(Behistan)の磨崖碑文と出会ったのである。アケメネス朝ペルシアの大王ダレイオス1世が,ゾロアスター教の神アフラ=マズダの保護を受けて各地を征服した姿を彫刻させ,戦勝記録を付したのが碑文で,古代ペルシア語エラム語バビロニア語の三カ国語から成っている。すでに1835年からこの碑文に着目して望遠鏡による筆写を始めていた。その後1844年には危険を冒して自ら岩崖をよじ登り,碑文を筆写・手拓した。1847年の解読発表はそれまでの地道な学説整理とベヒスタン碑文資料との共同の成果であると言えよう。楔形文字によるペルシア語の研究に一時期を画したローリンソンは,引き続きバビロニア語の解読に取りかかった。幾多の困難の末1850年には研究成果を公表した。1857年には,ティグラート=ピレセル1世年代記の翻訳を完成した。1861年には大英博物館所蔵の楔形文書のうち,『西アジア楔形文書集成』第1巻を公刊し以後第5巻まで編集した。これはアッシリア学の基本的資料である。1855年にバグダード総領事を辞して帰国した後は,東インド会社重役(1856),国会議員(1858),駐ペルシア大使(1859〜60),インド政府高官(1858,68〜95)を務めるなど政官界で活躍する一方,地理学会や王立アジア協会の会長も歴任し彼の業績にふさわしい名誉を受けたのである。なお,彼の弟 George もオックスフォード大学の古代史教授として有名で,彼と共同でヘロドトスの注釈を完成させた。

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