●ロレンス
ヨーロッパ 英国 AD1885 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1885〜1930 イギリスの作家。10篇に及ぶ長編小説が彼の文学の主軸だが,他に中短篇・詩・紀行・評論・戯曲・書簡・歴史に至るさまざまの分野での仕事があり,しかもそのどれもが膨大な量にのぼっている。評論も長短さまざまだが,文学論・文化論・黙示録研究と分かれみな異色のものである。ローレンスはイングランド中部のノッティンガムシャの炭坑村イーストウッドに坑夫の三男として生まれた。兄二人,姉一人,そしてすぐ年下の妹エイダ(Ada, 1887〜1948)の五人兄弟である。彼が生まれた時代はビクトリア朝時代,大英帝国の光輝がようやく翳りを見せ始めたころで,労働運動やアイルランド問題,それに婦人参政権問題などが騒然として社会の表面に上り始めた時代であった。そのような時代情況の中で,坑夫の父と,貧しいけれども気位の高い下層中産階級の出で,知識欲の旺盛な女性であった母との間に生まれその両方の血を受けたローレンスは,まさに時代の混乱の中から育って20世紀の時代へと入っていった人間であった。故郷の美しい田園の自然と,そのただ中に黒い煙を吐いて辺りを汚した炭坑の存在,両親のなかに見た「身分違い」の男女の間の葛藤,坑夫や農夫や貧しい人たちへの共感と,その一方で文化的なものに憬れる気持ち,今まで「反」とされていたものごとの価値を「正」の価値へと大転換させた彼の思想,これらがローレンスの文学と思想を形成していった骨組みである。ノッティンガム=ユニバーシティ=カレッジ師範部に在学中から小説を書き始め,1911年に田園の抒情と青春群像を描く『白孔雀』を出版。1912年3月に6歳年上の人妻でドイツ人で三人の子持ちであったフリーダ=ウィークリー(1879〜1956)と出会い,ともにドイツに渡る。その間1913年に『息子の恋人』を出版し,これは文字通りロレンスの青春への決別を印すものとなったが,また芸術家の成長を物語る20世紀小説の古典ともなった。1914年に二人はロンドンに帰り正式に結婚。1915年に『虹』を発表し,翌年に『恋する女たち』を書いて(出版は1920年),現代小説に聳える大作を残した。第一次世界大戦中はイングランド南部を夫婦で転々としたが,戦後は1919年秋から地中海・セイロン島・オーストラリアを経て,アメリカ西南部のニューメキシコに移り住み,その間も問題作を著した。1925年にはイギリスに帰り,その後は主にイタリアのフィレンツェの郊外に住んで,故郷の自然を背景にしながら労働者階級の人間の生命力を主題にした最後の長篇『チャタレー夫人の恋人』(1928)を書いた。ロレンスの文学は小説に限らずすべての分野で官能的で情熱と力に溢れ,しかも人間の意識の深層に分け入り,19世紀小説に見られない独特のスタイルを見出すことができる。また彼の生活の主題であった性は,彼にとっては決して単なる機械的な肉体の営みではなくて,生命そのものであり生きて動く人間の存在を衝き動かす源泉であり,人間の存在の間を回流する電流または存在の間に響き合い呼応し合う磁力のようなものであった。〔参考文献〕小川和夫訳『無意識の幻想』1966,南雲堂
羽矢謙一訳『愛と生の倫理』1974,南雲堂
羽矢謙一『D.H.ロレンスの世界』1978,評論社
井上義夫『ロレンス−存在の闇』1983,小沢書店