●ロラン夫人 ロランふじん
ヨーロッパ フランス共和国 AD1754 フランス王国
1754〜1793 フランス革命期のジロンド派の政治家。本名 Manon. Philipon。パリの商人の家に生まれ,幼いころからモンテスキュー・プルタルコスなどを読み共和主義的思想の影響を受ける。1780年リヨンのマニュファクチュア監察官であったロラン=ド=ラ=プチエールと結婚。1791年夫とともにパリに移りジロンド派の名士を招いてサロンを開く。“ジロンドの女王”と呼ばれ,スタール夫人が開いていたフィヤン派のサロンと並び称せられた。彼女の運動により1792年3月夫ロランが内相に就任した。ルイ16世の裁判では夫ロランが国王の敵国内通を公表したことは有名である。1792年9月の立憲議会成立後,モンターニュ派と対立するようになる。1793年6月人民峰起によりジロンド派が追放された際に逮捕され,11月処刑された。処刑前に残したことば〈おお自由よ,汝の名において何と多くの罪が犯されたことか!〉は有名。