●ロマネスク美術 ロマネスクびじゅつ
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
中世前半のメロヴィング・カロリングの両王朝滅亡後,アルプス以北の西ヨーロッパは,ドイツ・フランス・ニーダーランド・イギリスなどの諸邦に分かれ,ローマ帝国とキリスト教による教化と,それぞれの民族文化とを同化させてようやく独自の固有文化を形成し始める。同時にそれら諸地方ではローマ属領時代以来,教会がつねに文化の中心であり続けた。したがって,11〜12世紀に各地に出現する固有文化を総称してロマネスクと呼ぶのであるが,そこには依然として“ローマ風”との響きがこめられ,いわばローマ的なものを民族的なもので換骨奪胎したと見なされるこのロマネスク文化でも,教会がその中心的な役割を担ったのは当然の成行きであった。美術に関して言えば,まず教会堂つまり建築が主座を占める。ローマが伝えた教会堂はバシリカ Basillica(高く幅広い身廊部と列柱で両側側廊に区分された公会堂)を基本型とする。ロマネスク教会堂はこのバシリカを基本型としつつ,当時ローマ教会の内部改革を意図した修道院運動と相まってまず修道院建築として始まった。重厚・荘厳な“神の家”を地上に実現するという意図から,切石を重ねて分厚い壁を出来るだけ高く積み上げ,太いピア(基柱)で内部を支え,それに木製平天井を架けるのが初期の様式で,ドイツのヒルデスハイム=ザンクト=ミハエル・マインツ・ウォルムス・マリア=ラーハ・シュパイヤー,フランスのディジョン=サン=ベニーニュ・クリューニーなどの諸堂がそれに当たる。同時代のイタリアにも同じく重厚なロマネスク風教会堂が建設されるが,アルプス以北の諸堂がこれと際立った相違を見せるのは,高塔(時に数基の)が組み合わせられている点で,その上昇への志向は後のゴシックを予感させるものがある。内部はベイ=システムと呼ばれるものが導入され,柱間で単位空間を分節させながら,それを付加的につなぎあわせて深い奥行きをつくり,その最奥にアプス(祭壇)を設ける構造になっている。イタリア=ロマネスクでは,すでにビザンツの影響もあって天井には円筒型穹窿が導入され,列柱もそれをなぞってアーチ型をリズミカルに連続させる手法がとられているが,やがて北方でも,木製平天井では長いスパン(梁間)を取りにくいことと火災に弱い難点があって,この石造曲線穹窿が広く取り入れられるようになった。これが後のゴシックの光頭アーチ型助骨穹窿を生み出す基礎となる。とはいえゴシックと違って,基本は壁体構造であるため開口部の窓は大きく取りにくく,かつ採光の多くを高窓に求めたため内部には幽暗の雰囲気がかもされたが,反面壁面の多さのため必然的に平面造型として壁面と壁面彫刻の発展が促されることともなった。当時,文字は支配層の一部と僧侶の独占物であったため,文字を読めない広汎な信者民衆に対する視覚像による信仰解説は布教上の必須要件でもあったわけで,このため教会堂は聖書や聖者伝などを目でわかりやすく説明する一大ライブラリーともなった。このことは,伝来されたローマ風古典様式をふまえながら民衆の目にもなじみやすい民族的形象を生かした独特の図像表現の形式を促した。それによって,古典主義の理想的な様式化を離れ,人間像を古拙ではあるがより自然に近づけ,精神的真実の表出をより重視し,タッチも激しく色彩もより装飾的なロマネスク風絵画が生み出される。こうした対民衆用美術と対応して知識層のために急速な発展を見せるのが,写本芸術である。これは教義習得と同時にローマ文献学習による知識層育成が統治上の急務でもあった現実の必要とも見合っていたわけで,これに伴って,文字内容を図解する装飾挿絵・ミニアチュールの分野がひらかれ,その範囲は聖書・福音書は言うまでもなく,時に合わせた祈祷文を抜粋し併せて季節や生活の変化を図示して暦の役も兼ねる時祷書,さらには典礼式書にまで及んだ。