●ロ一マ字運動(日本) ローマじうんどう
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わが国にローマ字が伝わったのは,耶蘇会の宣教師の渡来した16世紀中葉のことである。しかし,ローマ字を国字として採用することを目的としたいわゆるローマ字運動の誕生は,明治期を待たねばならない。その後,この運動はいくつかの流派の根強い対立と分裂,またそれらを統一するための(学者側・文部省側からの)修正案・折衷案の出没など紆余曲折を経たが,今なおはっきりとした結論に至っていない。【明治期のローマ字運動】ローマ字運動は,1869年(明治2),南部義籌(なんぶよしかず)が『修国語論』のなかで,〈ローマ字を国字とし,国語の独立と発達を図るべし〉と,時の政府に建白したのがその発端である。その後,南部『文字ヲ改換スルノ議』(1872,明治5),西周『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』(1874,明治7)などが提出され,1883年(明治16)12月,外山正一ほか7名の創立委員のもとに,“ローマ字会設立相談会”が開催され,1885年(明治18)1月,“ローマ字会”が成立した。これは,全盛期(明治20ごろ)には,29支部,会員六千八百余名を数え,1885年(明治18)6月より月刊機関誌「Romaji Zasshi」を刊行した。田中館愛橘(たなかだてあいきつ)(1856〜1952)・田丸卓郎(たまるたくろう)(1872〜1932)らはローマ字会に所属してはいたが,ローマ字の綴り方に関して,主流グループと意見を異にしていた。すなわち,いわゆる“ヘボン式ローマ字(アメリカ人ヘボン著『和英語林集成』(1867)に用いられていた英語式のローマ字。たとえば,シを shi,ジを ji と表記する)”を支持する主流グループに対して,田中館・田丸らは,いわゆる“日本式ローマ字(たとえば,シを si,ジを zi と表記する)”を支持していたのである。そこで田中館・田丸らは,1886年(明治19),“ローマ字新誌社”をおこし,月刊誌「Romazi Sinsi」を一年間発行した。しかし,1905年(明治38),ローマ字論者たちは“日本語をローマ字で書くことを広める”というスローガンのもとに再び団結し,“ローマ字ひろめ会(会頭,西園寺公望)”を結成し,機関誌「Romaji」を刊行した。この会は,ヘボン式ローマ字を採用していた。1909年(明治42),田中館・田丸らは,再度日本式ローマ字を主張,機関誌「Romazi Sinbun」創刊のため,“日本ローマ字社”を設立し,1912年(明治45)5月,ローマ字ひろめ会から完全に手を引いた。
【大正・昭和初期のローマ字運動】大正期には,日本式ローマ字の根拠を説く田丸の著作『ローマ字国字論』(1914,大正3)・『ローマ字文の研究』(1920,大正9)が発表され,田中館・田丸を中心とした“日本ローマ字会(機関誌「Romazi Sekai」)”が新たに発足した。この会とローマ字ひろめ会との対立を解消するために,文部省は,1930年(昭和5)から1936年(昭和11)にかけて,“臨時ローマ字調査会”を設置しその統一をはかった。そして,1937年(昭和12)に,『綴り方の訓令』が公布された。これは,日本式ローマ字を一部修正したもので,一般に“訓令式ローマ字”と呼ばれているものである。
【戦後期のローマ字運動】排外的な戦時下ではもちろんローマ字運動は下火になったが,戦後の1946年(昭和21),アメリカ教育使節団のローマ字採用の勧告に伴い,文部省は“ローマ字教育協議会”を設け,その後ローマ字論も再び活気を呈した。しかし,訓令式・日本式・ヘボン式三派のローマ字論者たちの対立は依然として続きいっこうにまとまる兆しはないが,外来語のはんらんや,コンピュータの導入とともに,ローマ字の使用分野は年々拡大している。
〔参考文献〕石黒修「ローマ字論・ローマ字つづり字論」(いずれも国語学会編『国語学辞典』1966,東京堂