●ローザンヌ会議 ローザンヌかいぎ
ヨーロッパ スイス連邦 AD1932
1932年6月16日〜7月9日スイスのローザンヌで催されたドイツの賠償問題についての国際会議。出席国はドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ベルギー・日本など18カ国。【賠償問題】ヴェルサイユ条約によって,1,320億マルクの賠償金を課せられたドイツは,戦後の経済疲弊で支払能力を欠き,ヴェルサイユ体制諸国に対する不信感が強くなって,賠償問題をおこした。しかし,1920年代後半になると,国際協調の気運が高まり,ドイツも履行政策をとり,1924年にはドーズ案が,1930年にはヤング案が採用され,支払い方法や賠償総額が修正された。
一方,1929年末にアメリカに始まった世界恐慌は,1930年代になるとヨーロッパを襲い,とくに,アメリカなどからの資金の流入によって,ようやく立ち直りつつあったドイツ経済の受けた打撃は大きく,1931年のフーヴァー=モラトリアムをもってしても,危機を回避することはできなかった。恐慌の深刻化は,各国にも金融恐慌をおこし,債権国も対策を必要としてきた。イギリスはこのため,1932年1月に国際会議の開催を提案したが,賠償に関するフランスとの意見の相違やドイツで大統領選挙が行われる事情があって,6月になって開催された。
【経過】ドイツおよび主要な債権国が参加し,イギリスのマクドナルドが議長となって進められたが,アメリカはイギリスが最初から,債務の軽減を予定しているのを不満として参加しなかった。イギリスは経済危機に陥っており,ドイツの賠償と同時に,アメリカからの債務も帳消しにすることを願ったが,ドイツが強国へ復活するのを警戒するフランスがこれに反対した。もともと,ヴェルサイユ条約に不満をもつドイツは,ヴェルサイユ条約そのものの改訂を申しいれ,フランスと対立するなど,各国の立場と世界不況を背景にして,討議は難航した。
【決定と問題点】結局,マクドナルドの調停が成功し,ドイツの賠償総額を,ヤング案の358億マルクの約12分の1に当る30億レンテン=マルクと決定し,その90%を,15年で返還する約束で,国際セツルメント銀行が融資することにした。しかし,イギリス・フランス・イタリア・ベルギーは,第一次世界大戦中にアメリカに対して負った債務の全廃ないし減額を協定し,それを条件として批准することを定めていた。アメリカはもちろん,これを認めず,ローザンヌ会議の実施はこのため実効をみることなく,技術的には,再度,ヤング案が決定した線にもどることになったのみでなく,アメリカへの債務返済さえも,フィンランドを除いては中断されることになった。
【ナチスの台頭】1933年1月,ヒトラーが首相に任命された。この内閣はパーペンを副首相とし,ブロンベルクを国防省に,ノイラートを外相にしているなど,重要閣僚を非ナチス党員が占め,必ずしもナチス内閣といえるものではなかったが,2月には国会議事堂放火事件がおこり,それを機に共産党が弾圧を受け,3月には全権委任法が通過するなどして,ナチス独裁が実現されていった。ナチスは元来,ヴェルサイユ体制の打破をスローガンとしており,賠償金を「ドイツに経済的奴隷制」を強いるものとしていたので,賠償の存在すら認めず,天文学的な1,320億マルクの賠償金に始まった賠償問題は,事実上,葬り去られた。
なお,1922年11月20日から開催され,1923年7月24日に調印されたローザンヌ条約を決めた,トルコと連合国のあいだのセーヴル条約改訂のための会議もローザンヌ会議と呼ぶ。この条約によってもトルコの旧植民地は回復されなかった。