●ロココ
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“悦楽ということばは18世紀のためのものだ”とフランスの文人ゴンクール兄弟は記したが,そういう18世紀を最も良く表すのが,フランスのロココ文化である。だがそれは,ルイ14世から16世にいたるフランス絶対王制の宮廷文化が咲き誇る時代であるとともに,ルソー,ディドロなどに代表される啓蒙主義の時代であり,最後をフランス革命で結ぶ時代であり,だからまた台頭する市民階級の時代でもあった。こうした二重性はロココの文化に微妙な陰影をあたえ,危ういバランスの上になりたつ儚なさがこの文化の独特の魅力を生みだしているともいえる。ロココとはもと小石を意味するフランス語ロカイユに発し,ヴェルサイユ宮廷園の貝殻や石で飾った築山の呼称から転じて様式の名前として一般化されたとされている。その由来からも想像されるように,ルネサンス古典主義の直線性に対して,微妙な曲線の変化が特性であり,建築その他でも曲線的装飾性に美が求められて,それがまたフランス的優雅を代表するものとみなされてもきた。だがこれを宮廷文化そのものの面に重きをおいて,完璧にロココ的空間を実現させた事例を求めるなら,むしろそれは,南ドイツ・オーストリア・ボヘミアなどハプスブルク王家影響圏に建てられた宮殿・寺院建築にこそふさわしい。ドイツの建築家 B. ノイマン(1687〜1735)の手になるヴェルツブルク宮廷礼拝堂・フィアツェンハイリゲン聖堂・J. M. フィワジャー(1691〜1766)によるツヴィファルテン聖堂などがそれであるが,それらの内部では柱も壁も天井もすべてが曲線の連続へと流動化され,あらゆる隈々に植物様装飾を絡めて飛び立つ人物像が配され,中心円蓋にはまさに天上目がけて飛翔するマリア,天使らが宙に浮んで下から見上げる姿に描かれる。絵画は建築と一体化し,遠近法技術を極限にまでデフォルメして駆使する技法の粋がそこにはみられる。地上における一切の制約を認めず重力の法則をさえ突き破ろうとした絶対王制の意志がバロックの美術を出現させたとするなら,ここではそれが超地上化されて一種の夢幻境の域にまでいたっている。フランス=ロココでそれに対応するものを求めるなら,建築よりも絵画,誰よりもルイ15世の宮廷画家 J. A. ヴァトー(1684〜1721)こそがそれにふさわしい。悦楽を求め繊細優雅を楽しむロココ的生活感情は彼の生みだした“雅宴”の主題に結晶され,野宴を楽しむ男女歓楽の図はさらなる官能の喜びへの憧れをこめた『シテール島への船出』では虚実定かならぬ夢幻陶酔の表現にまで昇華させられる。だがそこにはすでに,オーストリア,ロココではほとんど姿をみせることのなかった“自然”が人物群を押し包んでいることに注目しなければならない。いわばそこには一種官能化された自然の姿をとおして,この宮廷世界をひたひたと取りまく“現実”の影がさしかけている。台頭する市民階級のリアリズムが幻のようにその背後にあることはいうまでもない。あたかも一つの時代の変化をあらわすかのように,彼の弟子 F. ブーシェ(1703〜1770)は,一方で伝説・神話に材をとる田園牧歌も描きながらも,より多く市民の日常を的確な筆致で描く風俗画の方を好んだ。さらにその弟子で世紀後半を担う J. H. フラゴナール(1732〜1806)となると,神話的仮装などは全く捨てられて,生活を楽しむ民衆のあからさまな姿がもろに絵の主題となり,その健康で開放的なエロティシズムが宮廷的官能の夢幻的表現を圧倒する。ロココ文化はたしかに宮廷から始まりながら,しかし経済的・政治的実力をおもむろにつけはじめた市民階級が,それを自分たちの文化としてとらえ返し,色揚げしていく過程ともみなされるのであって,生活工芸とくに家具調度・食器の類が,実用をみたす単なる道具,あるいは権威の象徴とされた域を出て,使い易く,見て楽しい機能性と装飾性をもちはじめるようになるところにも,すでに市民生活の影がみとめられる。やがて大革命でロココの幕が閉じられるとともに,いよいよ主役となった市民階級の担う近代文化が前面に登場するのである。
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