●鹿鳴館 ろくめいかん
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東京日比谷にあった洋館の名称。イギリス人コンドルの設計によるレンガ造2階建。1881年(明治14)着工,1883年落成。3年の歳月と14万円の巨費を投じてつくったもの。その目的は治外法権の撤廃と関税自主権獲得のため,陋習打破による生活の西欧化を求めた欧化キャンペーンの殿堂となった。そこで開かれた仮装舞踏会は,欧化キャンペーンであったが,日本人の洋装はそのまま“仮装”であった。鹿鳴館は男女の性道徳の乱脈をつくったといわれ,巌本善治は“姦淫の空気”をつくったと「女学雑誌」にかきたてた。その一方,旧来の髷を改める結髪(束髪)を発生させ,燎原の火のごとく鹿鳴館のヘア=スタイル,鹿鳴館風をひろめた。そのホステス役下田歌子は新しい風俗づくりに尽くしている。いわゆる鹿鳴館時代は欧化主義の最先端をいくものであったが,外相井上馨の条約改正の失敗は,国粋主義台頭の契機となり,1889年,第十五銀行へ払下げられ,1890年,華族会館となり,1945年焼失。
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