●六波羅探題 ろくはらたんだい
アジア 日本 AD
鎌倉幕府の職名の一つ。幕府が出先機関として京都六波羅の南北両府においた長官の通称。この称呼は南北朝以降のもので,当時は六波羅・六波羅守護,六波羅南方・南殿,北方・北殿などと称した。1221年(承久3)6月の承久の乱に,京都に入った北条時房,北条泰時が六波羅南北の居館に在って戦後処理に当たったのがこの職のはじめ。京都公家政権の監視と連絡,京畿の守護・警衛や,尾張以西(のちには三河以西)諸国の軍事・裁判以下の政務を管掌した。執権北条氏一族がこれに任じ,その支配下の役職の組織は,鎌倉幕府に準じた体制となり,裁判をつかさどる評定衆・引付衆,治安刑事裁判のための検断方が置かれた。1259年(正元1)以降は,大事は鎌倉の指揮に従い,小事は専行した。1333年(元弘3・正慶2),後醍醐天皇の倒幕の軍に攻められ,南方の北条時益は戦死,北方の北条仲時は光厳天皇と後伏見上皇・花園上皇を擁して東走したが,近江番場宿に自殺し,六波羅探題は滅んだ。