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●老上単于 ろうじょうぜんう

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 ?〜161(在位前174〜161)匈奴第3代の単于で,冒頓(ぼくとつ)単于の子。匈奴は頭曼単于の代からしだいに強盛となり,その子冒頓にいたって大きな飛躍をとげた。当時,北アジアには東の東胡と,チベットの東北部からオルドスの西辺にかけてイラン族系の月氏(げっし)が拠っていたが,冒頓はこれを次々に伐って北アジアに覇を称した。また,中国に対しては,秦に奪われたオルドスの牧地を回復したほか,国礎の固まらない漢を攻撃して和親条約を結ばせ,漢を兄,匈奴を弟として兄弟の約束をかわし,さらに毎年,一定量の絹織物や酒・米そのほかの物資を提供させることにした。

 老上単于は,いわば,冒頓のこのような政策を継承し,さらに推進した人物である。彼の治績としてとくに注目されるのは,次の2点である。(1)中国人の宦官,中行説の重用。中行説は降嫁する和蕃公主に随伴するように強要され,不本意ながら匈奴におもむいた。爾来,単于のためにたえず献策し,台頭しつつある匈奴の華化的傾向を戒めるとともに,漢を攻撃して勝利を収め,かつ,匈奴の優越性を誇示するための具体策を細かく伝授し,これを実行させた。たとえば,文帝が1尺1寸の木簡文書に“皇帝敬しんで匈奴の大単于に問う,つつがなきや”という書を出しているのに対し,老上は1尺2寸の木簡をもって返書とし,“天地生む所,日月置く所の匈奴の大単于,敬しんで漢の皇帝に問う,つつがなきや”と述べている。(2)月氏の敗滅。冒頓単于いらい進めてきた月氏の討滅をめざして第3次の遠征を行い,大勝利のすえ,殺害した王の頭蓋で酒盃をつくり,宿願の達成を祝った。この戦勝を転機として,匈奴はシルク=ロードの重要地点を完全に支配することになり,月氏に代わって東西交易による利潤を享受できるようになった。