●老子化胡経 ろうしけこきょう
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『史記』中の老子の伝では,老子は最後は「函谷関を出て終わるところを知らず」となっているが,この記事からまず166年(延喜9)に「老子は夷狄に入って仏陀となった」とする説(襄楷の上奏文)が生まれ,またのちには「老子は関を出てから,中央アジアをへてインドまでいき胡人を教化した。釈迦は老子の弟子である」という説(『魏略』西戎伝)も生まれた。この説にのっとって生まれたのが,『老子化胡経』である。この経は西晋の道士王浮の作とされているが,ペリオによって敦煌で残巻が発見され,大正大蔵経に収められたものは開元年間の成立であり,王浮作のものとは別のものと考えられている。この説の成立については,一般に仏教に対する優位を主張するために老子の徒がつくり出したものとされているが,布教を円滑にするために仏教側が考えだしたものとする見解もある。『老子化胡経』は成立以来,仏道の論争のさいにはつねに争点の一つになってきたが,元の1281年(至元8)の禁断によって滅んだ。