●魯 ろ
アジア 中華人民共和国 AD
中国の周代の侯国。始祖は武王の弟周公旦。周公が成王の輔政に多忙なため,その息子の伯禽が一族と殷の遺民とを率いて曲阜を都城とし,東方系民族を支配した。この経緯は西周初期金文に傍証を得る。西周末期,宣王の干渉を被り一時混乱した。春秋時代,僖公は斉の桓公没後の中原の覇者不在を利用して一時小覇をとなえたが,晋の文公称覇ののちは,彼に屈従した。以後定公にいたるまで魯は一貫して晋を覇者に仰ぎ,一方で斉・楚との友好の維持に苦しむ。国内的には文・宣のころより桓公の後裔,季孫・孟孫・叔孫の三桓氏が台頭し,成・襄になると国政を壟断した。その排除をはかった昭公は逆に亡命させられた。昭・定のあいだにはさらに三桓の采邑の反乱も頻発。季氏の家臣の陽虎が国政を一時壟断。下剋上の風がきわまる。 哀公のときには新興の呉・越と隣国斉の圧迫に苦しみ,哀公は越をたのんで三桓排除をはかり失敗,亡命する。悼公以降,三桓は事実上独立。魯は区々の小国と化し,頃公にいたって楚に併呑され,滅亡した。