●錬金術(中国) れんきんじゅつ
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中国の錬金術は,その初めから神仙思想と密接に結びついていた。黄金の錬成は,金そのものを求めるというより,これを服することによって,金と同様の不壊の身体を得,仙人となることが目的であった。漢の武帝の宮廷には,不老不死の神仙になる道を説く方士たちが多く集まっていたが,そのなかの一人李少君は武帝に,“カマドを祀れば鬼神がやってくる。そうすれば丹砂を黄金に変えることができ,その黄金で食器をつくれば寿命をふやすことができる。そして神仙に出会って封禅をすれば仙人になれる。”と説いた。丹砂を黄金に変えるというのは錬金術にほかならず,このころにはすでにこのような術が行われていたことを示している。同じころ,多くの方士・学者を集めて『淮南子』を編さんさせたことで有名な淮安王劉安は,また『鴻宝』という名の錬金術の書もつくったと伝えられている。
4世紀の初めになった葛洪の『抱朴子』内篇は,当時の仙道・仙術を集成し体系化したものとして有名であるが,彼が成仙への道として最も重んじていたのが丹薬であり,錬丹(錬金)術であった。葛洪はここで仙人が実在すること,そして仙人は学んでいたることを強調した上で,呼吸法・房中術・丹薬の三つの道が重要であるとし,そのなかでも要中の要が丹薬で,これなくしては不老長寿・成仙は不可能であると説く。その『仙薬篇』には,さまざまの仙薬が等級を付けて列挙されるが,仙薬のうち,トップにランクされるのが丹砂と黄金で,これが金丹である。『金丹篇』には,さまざまな金丹とつくり方が紹介されている。また,『黄白篇』にも金を錬成する方法が説かれているが,このようにしてできた金を仙薬として服するには,液化するか,またはやわらかいダンゴにして服用するのであるが,『金丹篇』にはその方法も記されている。しかし金丹の錬成は,神聖な宗教的行為であったから,これらの操作は人里離れた山中で行わねばならず,しかも木や石の精霊や化物の多く住む凡山ではなく,正神の住む名山を選ぶ必要があった。そして100日間斎戒して,五辛や生魚を断ち,また俗人との交わりも断って作業をすすめなければならないとされている。
この『抱朴子』のほかに,のちの時代になってとくに重んじられた錬金術の文献に,『周易参同契』がある。その作者魏伯陽については,呉の人で,後漢の桓帝のころの人という説もあるが,詳しい経歴はわかっていない。その内容は,『易』の父の象によって金丹を錬成する原理を説いたものである。『抱朴子』に説かれたような錬金術は,唐代にいたってたいへんな流行をみた。しかし錬金術で用いられる薬品には,水銀や砒素など有毒なものが多く含まれているため,丹薬の服用はたいへんに危険である。錬金術の流行のなかで,名君の誉れ高い第2代皇帝の太宗が延年薬にあたって死んだのをはじめ,11代憲宗・15代武宗・16代宣宗など,唐の皇帝22人のうち,6人までが丹薬で中毒死したといわれている。皇帝ばかりではない。文豪韓愈は「故太学博士李君墓誌銘」のなかで,丹薬中毒にかかった8人の例を記しているが,その韓愈自身も水銀中毒に侵されていたという説もある。
しかし宋代以後になると,実際に化学的実験操作によって金丹を錬る方法から,自らの身体を鼎にみたて,内観・瞑想によって体内の薬物を錬って金丹と化す内丹法を主とするようになってきた。この内丹説は北宋の張紫陽に始まる一派によって大成されてくるが,すでに唐末五代のころには,この種の説を説く文献が現れている。この内丹説では,先述の『周易参同契』と張紫陽の『悟真篇』をとくに重視している。
錬金術はその実験的な一面から,火薬の発明など化学の知識や,また医学・薬学の発展に大きく貢献をしたことが評価されているが,その点だけに注目するのは誤りである。西洋の錬金術が,最終的に魂の浄化・再生,肉体の蘇りをなしとげ,物質界の変成術を行う力を得ることを目的としていたのと同様,仙道と密接な関係をもっていた中国の錬金術の真面目は,理想的存在としての仙人に,自らを再生させるという目的をもつものだったことを忘れてはならない。
〔参考文献〕吉田光邦『錬金術』中公新書,1963,中央公論社
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