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●レッシング

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1729 ハプスブルク朝

 1729〜1781 ドイツ啓蒙主義の代表的作家・批評家。牧師の子に生まれたが,ライプツィヒでの学業半ばにベルリンへ出て自由著述家の道を踏み出した。明晰な知性と男性的気魄に満ち,旺盛な批判精神に溢れていた。書簡体の評論雑誌『文学書簡』(1759〜65)で評論活動を開始したが,ことにフランス古典派に対してシェークスピアを称揚した。硬直した形式に対して活力ある内容を尊重し,ドイツ文学に新しい指針を与えた。ついで『ラオコーン』(1766)では文芸と絵画の限界を示し,時間芸術と空間芸術の相違から,両芸術の本質的差異を説いた。この書にはフランス人ヴォルテールに対する攻撃が込められているが,この書をもってドイツ近代文学論が開始されたといえる。のちにハンブルクの国民劇場の劇評家をつとめるうちに書いた『ハンブルク演劇論』(1767〜69)ではとくにアリストテレスの諸命題の正しい解釈を試み,フランス古典劇の旧套墨守を批判した。創作では,イギリスの作品から題材をとった市民悲劇『ミス=サラ=サンプソン』(1755),七年戦争に取材した喜劇『ミンナ=フォン=バルンヘルム』(1767),自己の演劇論を実践した悲劇『エミーリア=ガロッティ』(1722),および晩年にいたって,啓蒙主義の普遍的人道主義の立場から信教の自由をうたった観念劇『賢者ナータン』(1779)がある。しかし,どちらかといえばレッシングは,創作家としてよりは批評家としてドイツ文学史上に不朽の名をとどめる人である。彼の最後の論著は『人類の教育』(1780)で,キリスト教の発展を神の英知による人類の教育とみて,未来のかなたに純粋倫理による理想的な世界を展望している。啓蒙主義の理性的批判精神は彼において,逞しい文筆を通して,ドイツ人に真の自由とその目標を示したのであった。

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