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●歴史的景観 れきしてきけいかん

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 景観ということばは,ドイツ語の Landschaft の訳語からきた地理学用語であるが,簡単にいえば,「景色」とか「眺め」ということである。景観は大きく自然景観と文化景観に分けることができるが,歴史的景観は後者に属する。文化景観とは,いいかえれば人間の歴史の所産にほかならない。歴史とは,人間がそのときそのときを必死に生きた全過程であるが,人間は生きるために,あるいは生きる過程において,所与の地表に働きかけ,地表にデザインし,地表を経略してきた。そのやり方には,洋の東西,ときの古今によって,流行があり,違いもある。歴史上のそれぞれの時代の過去の景観が,地表のどこかに,現代的景観と融和しながらもその痕跡をとどめていて可視的な場合,それを歴史的景観と呼ぶ。したがって歴史的景観は,現在に視点をおいた場合の概念だといえる。

 歴史的景観のなかには,これまで地中に埋没されていたが,発掘によって初めて現地表に現れた遺跡の景観や,あるいは廃村のように比較的近年まで人間の営みが行われていた民家や耕地の残骸をさらす景観も含まれる。これに対し,歴史的景観といわれるものの大部分は,その機能・使用目的が一部もしくは全部異なっていても,今なお歴史上のそれぞれの時代の過去の様相をとどめているものである。民家や城郭,町割や耕地畦畔,道路,運河,堀,人工による池沼など,現在もなお生きながらえている歴史的景観も少なくない。

 わが国の場合,歴史的景観とひと口にいっても,歴史上のそれぞれの時代の時代別空間と人間の営みのありようでたいへん異なっている。遺跡景観として微高地にみられる竪穴式住居の縄文集落や,低地に下がってきた耕作を伴う弥生集落などは,わが国の黎明期の無視することができない歴史的景観であろう。ついで,考古学の領域では,古墳もしくは古墳群の景観も,忘れてはならない歴史的景観といえる。大和時代から飛鳥時代をへて奈良時代にいたる時期では,その舞台となった“日本のふるさと”といわれる大和地方の歴史的景観を見逃すことはできない。大和地方の歴史的景観をほろぼさないで,今日まで支え伝えてきたものは,社寺,森林,墳墓,そして農耕地である。そのうちでとくに大きな役割を果たしたのは,地上に何の痕跡もとどめない空間展開をもつ平凡な水田地帯であった。人間の尺度で区切った水田を中心とする条里形態が,自然に農耕集落と民家をつくった。それは計画的に合理性をつきとめた都市計画的な人工的構成でなく,やわらかな自然のふところに抱かれてのびのびとしたものである。法隆寺や薬師寺の塔,飛鳥の川原寺や石舞台,山辺(やまのべ)の道など,こうした水田の前景を必須条件として成立している歴史的景観である。大和棟特有の三角形の屋根や,目の覚めるような白壁,そしてそのあいだを縫うようにのびる街道が,大和地方のかけがえのない歴史的景観となっている。なお,律令国家の歴史的景観としては,国ごとに置かれた国府と,その付近に置かれた国分寺や国分尼寺がある。もちろん,それらのほとんどが消失してしまっているが,国府の立地や町割をそのまま踏襲した集落も少なくないし,国分寺や国分尼寺の道統を守る寺院も全国にはいくつか残されている。続いて,鎌倉時代から室町時代の歴史的景観としては,奈良や京都は別として,鎌倉や萩などの地方の政治都市や,堺や三国湊などに残っている古い寺院や町割,堀その他の歴史的景観であろう。人口が密集する一種の先駆的な都市化現象は,この時代に確立した城下町や門前町において認められる。とりわけ,室町時代中期より商・手工業者を主体とする町衆が,町組をつくって自治的活動を営むようになり,たとえば,堺のように対明貿易の根拠地として巨大な資本を擁した商業都市では,36人の納屋衆からなる会合衆さえ出現するありさまであった。こうして商業資本の急速な増殖が町衆の団結と組織力の拡充を促すにつれて,大量の人口を町組に包含しつつ,ひとところに集中させていく大規模な都市化の傾向は,その後,江戸時代にかけてますます伸展を示すようになる。すると,そこにそれまでなかった新たな都市景観を具現することになり,それが今日,いくつかの歴史的都市の歴史的景観となって残存している。その最も典型的で貴重な例が,今日もなお大阪府堺市の北旅篭町付近でみられる歴史的景観であろう。なお,鎌倉時代から室町時代において都市のほかに村落では,低湿地という立地と武家の住居という立場からの,防御的意味からの環濠集落が一種の類型としてみられるが,これらも荘園などとかかわりの深い歴史的景観である。また,この時代に起源をもつ寺内町に,意外に歴史的景観をとどめている所も多い。江戸時代に入ると,幕藩体制の整備を行い,これによって,各地の城下町や宿場町に,今日もなお画一的な歴史的景観をみることができる。とくに明治以後,近代的都市化の波に取り残された山間盆地の旧城下町や,近代交通機関の恩恵にあずからなかった旧宿場町に,往時の歴史的景観が色濃く残っている場合が多い。

 明治以後の近代社会に入ってからでも,貴重な歴史的景観が随所に残っている。思いつくままにあげれば,北海道大学の札幌農学校時代の時計台,埼玉県川越市の元町,仲町付近の蔵造りの町家,東京の慶応義塾大学の三田演説館,滋賀県大津市に残る東海道本線の旧・逢坂山ずい道,京都の南禅寺境内の琵琶湖疏水の水路閣,同じく京都の三条通りのれんが造りの建造物群,同じく京都の山陰本線の二条駅の駅舎など。これらは明治100年を過ぎた今日,もうすでに立派な歴史的景観となりつつある。

〔参考文献〕藤岡謙二郎『歴史的景観の美』1965,河原書店

浅香勝輔ほか『歴史がつくった景観』1982,古今書院