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●歴史民族学 れきしみんぞくがく

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 歴史民族学とは,無文字民族の諸文化の特徴を探った上で,文化間の発生的関係を歴史学の方法で浮き彫りにしようとする人類学の一派である。19世紀の人類学を支配した進化論主義を先験的と批判し,民族誌学が蒐集した資料を綿密に検討する必要を強調した。ある文化要素が典型的なつながりによって複合をなす傾向をもつばかりではなく,地理的空間においても独特な分布形態を示すことを立証するのに努めた。全人類の同一性を前提に,条件さえ整えば重要な発明がどこでも繰り返されると進化論主義着は推定していた。それに対して歴史民族学の研究者は,旧大陸の文化と民族の移動史の事実を契機に,文化の根本要素が頻繁に生じるのではなく,1カ所で生じた要素かその複合体がそこから広く伝播されるとしていた。歴史的過程と地理的移動を通じても,文化要素とその複合体が自己の形態をよく保持するとされた。この点は,のちほどとくに批判の的となった。これらの研究者は人類学が基本的に歴史学の一分野であるとみなして,無文字民族も含む全世界史を書くのに貢献できると思った。彼らは方法の面でベルンハイムの歴史学方法論の影響を強く受けた。人類学の資料の独特な性格をとらえるために歴史学の観点を踏まえた立場の研究者は欧州のドイツ語圏に多いが,すべてが同じ方法に従ったとは限らない。

【理論の展開】文化要素の移動に着眼して,ラッツェルはアフリカとメラネシアの弓矢の比較研究で両者のあいだに文化関係の可能性を具現した。その関係の有無を示すために,比較される特徴は文化要素の性質か目的,あるいはその材料によらないものでなければならないと要求した。ラッツェルは事実上,文化関係の有無を判断するのに欠かせない“形態の規準”を唱えた。次に,ある区域に分布する要素を地図に明記して,フロベニウスはこの区域内の文化要素がたがいに関連し,典型的な複合を形成することを発見した。そして,一定の区域にまとめられた文化複合体を“文化圏”と名付けた。これらの研究成果を踏まえ,グレーブナーベルンハイムの方法論を取り入れて,歴史民族学の最初の理論書である『民族学の方法論』を公にした。この本で(1)資料の批判(2)文化関係を示す諸規準(形態の規準と数量の規準)の役割(3)文化圏と文化層の観念などを論じた。主として空間的単位である文化圏が移動し,ほかの文化圏と接触したり,重複したりすると文化層ができ,空間的次元のほかに前後関係において時間的次元も現れるという。やがてシュミットの指導で“ウィーン学派”の民族学者グループがこの方法を受け継いだ。シュミットは社会制度と経済形態などにもとづいて各文化圏を具体的に設定し,歴史的発生順に配列しようと努力した。シュミットの晩年にしだいに動きはじめた“新ウィーン学派”の若い研究者は彼の文化圏説を放棄したが,人類学の歴史的性格を認めながら文化のより詳細な研究を要求している。しかし文化圏の研究が支配的であった時代から同じウィーン大学でハイネ=ゲルデルンは美術史と考古学を大いに利用して,独自の文化史研究法を開発し,ある文化現象の超大陸的移動と分布を追求した。フランクフルト大学を基地にしている文化形態学派の研究者も,採るべき方法について意見を異にするが,歴史学の観点を重視している。文化史を究明することを目的にするこれらの方法に対して,終戦後,ウィーン大学で活発的になったエスノヒストリーなど一定のエトノス(民族)の構造史を厳密な歴史学方法で明らかにしようとする試みもある。

〔参考文献〕シュミット・コッパース,大野俊一訳『民族と文化』上下,1957・1970,河出書房

大林太良「歴史民族学の諸問題」民族学研究37,1965

P.クネヒト「文化伝播主義」綾部恒編『文化人類学の15理論』1984,中央公論社