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●歴史時代 れきしじだい

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 有史時代とも呼ぶ。原史・先史時代の対語。

【総論】一般的には確かな文献が豊富にある時代をいう。考古学の区分では鉄器時代の中期以後にあたる。日本史でいうと飛鳥時代以降,現代にいたるまでの時期をさす。歴史上の時代区分の名称の一つ。文字発生以後の時代の称。人類の過去は先史(原史)時代と歴史時代との二分法しか成り立たない。これは研究法による区分で,文字にかかれた記録(文献資料)によって知ることのできる過去が歴史時代である。しかし近来考古学の発達で文献資料のみでなく口碑・絵画・遺物もその研究対象となり,その上に歴史考古学などという学問が発達することによって二分法もぐらつき出している。

【歴史考古学の発達】これは先史考古学と異なり歴史時代の遺物・遺跡を研究対象とする考古学。これも考古学だから方法的には先史考古学と共通する方法に立っている。ただ遺跡・遺物を研究する際,文献史料を利用する点が異なる。その場合,明確な場合と示唆をうける場合とでは方法適用の状況が異なる点は指摘するまでもない。古代・中世のごとき歴史的実年代を示す時代のことを歴史時代という。飛鳥以前の宮都と飛鳥京,土師器とその集落,瓦窯跡・古瓦・経塚板碑金石文・国分僧寺跡・尼寺跡などは歴史時代の考古学ということになる。生産上の問題,とくに産業・手工業その他工業技術を含んでいる。原史時代=古墳文化と位置づけるものもあり,歴史時代は大陸関係を含むとするものもある。都城址・民家においては青銅器・銅鉄過渡という厳密な時代区分がされている。このようにみてくると,原始時代と歴史時代の区別が歴史考古学成立の前提ということになる。中世考古学も近世考古学もしたがって成立する余地がある。草戸千軒遺跡や鎌倉市街地の発掘調査など歴史時代の発掘である。草戸千軒遺跡は広島県福山市の芦田川の中洲に存在する遺跡。古福山湾に注ぐ芦田川河口に形成された鎌倉時代からの集落遺跡で西大寺派律宗の常福寺の門前町とも八条院領長和荘の市場町ともいわれている。この遺跡の水没は1673年(寛永13)の洪水によるもので,近世になって中世都市が壊滅したのだといわれる。この発掘によって道路や溝が発掘され,民家の様相もくっきりとうかび上がっている。鎌倉などの地制は文献上でははっきりしていた。側溝や平行する小溝によって区画があきらかとなり,文献よりもっとこまかいことまではっきりしている。ましてや,中世の庶民生活,何を食べ,どんなものを植えていたかなどを調べることができ,調度品もはっきりし,食膳具のととのい方も明らかになる。したがって歴史時代の発掘は,文献史学にあつみを加え,生活史・社会史を発展させる力ともなる。近世でいうと浅間山麓の鬼押出しと鎌原部落の発掘によって,当時の鎌原の人々のくらしがしだいに復元されつつある。