●歴史学派経済学 れきしがくはけいざいがく
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わが国では1863〜88年(文久3〜明治21)まで,古典派経済学がオランダ・イギリス・アメリカ・フランスの各国から導入されたが,自由民権主義的経済思想がそれを受け入れる基盤となった。福沢諭吉や田口卯吉(うきち)による俗流経済学の色彩の強い自由主義・個人主義思想の受容は,民権運動の挫折もあり定着しなかった。ついで1889〜1907年の第2期にドイツ・オーストリア系の歴史学派が日本に導入された。中川恒次郎『経済実学講義』,和田垣謙三『講壇社会党論』(「国家学会雑誌」所収),大島貞益『李氏(リスト)経済論』,有賀長雄『須多因(シュタイン)講義筆記』などが1889〜1907年ころいっせいに刊行された。ドイツの新旧歴史学派の思想でイギリス・フランス流古典学派の非現実性を問題にする政府と,東大の金井延と桑田熊蔵がリードした社会政策学会が社会問題の対策を歴史学派に求めたという両面の要請に呼応した(杉原四郎)とされている。