●レヴァント貿易 レヴァントぼうえき
ヨーロッパ イタリア共和国 AD
レヴァント(英語)はイタリア語のレヴァンテに由来し,ラテン語のオリエンスに由来するレヴァント貿易(英語など)と同様,元来は「日出づる処」すなわち「東方」を意味する。このことから一般に,レヴァント貿易とは西ヨーロッパからみた東地中海の沿岸諸地域との貿易をいう。すなわち地中海全体においてなされる貿易のうち,この特定部分のことをいうのである。もう少し意味を限定していう場合には,西ヨーロッパ世界がイスラーム世界やギリシア正教世界となす,中世以降の貿易をいうことが多く,またそれが西ヨーロッパ世界にとって重要な意味をもったのは,「商業の復活」がなされた11世紀から,地中海商業の衰退が決定的となった17世紀までであった。その主要な担い手は,11世紀以後,ヴェネツィア,ジェノヴァ,ピサ,バルセロナなどの地中海の海港都市であったが,西ヨーロッパの経済構造の変化に伴い,17世紀にはフランス,イギリス,オランダのような貿易国家となった。さて東地中海には古代以来,アジア・東アフリカの特産物(中国の絹,東南アジアの胡椒,インドの香料,アフリカの象牙など)が海陸の経路でもたらされていたが,西ヨーロッパはそこからその一部をある時代には少なく,ある時代には多く輸入したのである。具体的な経路としてはエジプト,シリア,アナトリア,黒海があり,各経路の重要性は東地中海の政治状況などによって変化したが,いずれにせよ「インド航路の発見」までは東地中海がその唯一の通路をなしていた。こうした商品と並んで,東地中海の各地域で生産される商品(エジプトの砂糖,シリアの絹,アナトリアの明礬,ギリシアの干果実,コンスタンティノープルの工芸品,黒海の奴隷など)をも西ヨーロッパは輸入した。すなわち東地中海から輸入する商品には,そこを中継地とするものと,そこを生産地とするものとがあったのである。前者の場合には,遠距離を輸送されてくることから,高価軽量で奢侈品的な性格をもつ特産品がほとんどであった。しかし後者の場合には,その性格は?かに多様であった。東地中海と西ヨーロッパとの工業技術の水準格差とその(東高西低から西高東低への)逆転,輸送手段と輸送費とのありかたの発展による低価重量商品の大量輸送の実現,亜熱帯性農産物(砂糖,綿花など)の生産地の西地中海・大西洋への拡大によるその東地中海の生産独占の崩壊など,西ヨーロッパと東地中海との経済関係の変化により,その輸入商品の構成は時代とともに大きく変化したのである。とくに13世紀後半以降,輸入商品の種類が多様化するとともに,一般に製品よりも原料の,高価軽量商品よりも低価重量商品の比重がしだいに増大した。こうしてレヴァント貿易は,奢侈品のみではなく,各種の原料や食料をも多く取り引きするようになったのである。前者の場合には,イタリアなどから北西ヨーロッパなどにその一部が輸出されたが,後者の場合には,北・中イタリアのような西地中海の商工業中心地でその多くが消費された。したがって,「インド航路の発見」によって打撃を受けたのは,レヴァント貿易全体のうち,特定の部分だけであった。しかも,16世紀にインド洋に進出したポルトガルは胡椒などの流通独占に結局失敗したので,その打撃が致命的となったのは,イギリスやオランダがインド洋に進出した17世紀のことであった。一方,オスマン=トルコの東地中海の征服によってもたらされた,そこからの原料や食料の西ヨーロッパへの輸入の減少と,西地中海・大西洋からのその西ヨーロッパへの輸入の増大とは,レヴァント貿易全体のうち,先とは別の部分における衰退の原因となった。ともあれ,フランス,イギリス,オランダがレヴァント貿易に進出したとき,その主要輸入商品は綿花,生糸,干果実などでしかなかったのである。さて,レヴァント貿易では一般に西ヨーロッパが「入超」であった。その代価としては,貴金属や西ヨーロッパの特産物たる良質羊毛から製造した毛織物もあったが,時代とともに変化したものも多く,西ヨーロッパの工業技術が発展してからは各種の工業製品も多く輸出された。〔参考文献〕斉藤寛海「中世ヨーロッパの貿易」『中世史講座』第11巻,1985,学生社