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●黎朝 れいちょう

アジア ベトナム社会主義共和国 AD1428 

 ヴェトナムで最も長期にわたって存在した王朝(1428〜1527,1532〜1789)。黎桓(レホアン)が樹立した前黎朝(980〜1009)と区別するため後黎朝とも称される。この王朝は藍山(ラムソン)で挙兵した「黎利(レロイ)」(太祖)が明の支配から独立して樹立した。ヴェトナムでは彼を民族英雄の1人として敬愛する。太祖は即位後,陳朝を継承する意味で,国号を大越(ダイヴェト)と称し,首都を「昇竜(タンロン)」(ハノイ)に復した。太祖は明との関係の正常化につとめる一方,阮薦(グエンチャイ)らの協力を得て内政の整備をはかり,中央に最高官の左右相国を配し,地方を五道にわけ,その下に路・鎮・県・社を置き,人材登用のため科挙を開き,均田法の制定,戸籍・田簿の作成,兵制の改革,順天通宝銭の鋳造など,王朝の基礎づくりに専念した。黎朝は5代目聖宗のときに最盛期を迎えた。聖宗は,外に対しては,1471年,占城(チャンパ)に親征し,その首都ヴィジャヤ(ビンディン付近)を陥れ,ヴァレラ岬以北の領有に成功した。1479年にはランチャンにも自ら大軍を率いて進攻し,首都ルアンプラバンを攻め,ビルマの国境にまで兵を進め,大越の国威を誇示した。帝はまた,内政においても諸制度の整備と改革に意を注いだ。中央と地方の制度,兵制においては明の制度を範とし,洪徳律令,洪徳均田例を発布し,従来の田賦以外に人頭税(1人につき銭800文)を実施し,閲選法の制定,堤防・灌漑施設の整備,屯田制による土地開拓の積極的諸政策を断行し,3年1比制と保結郷試法による科挙制を確立し,政治的,経済的,軍事的基盤の強化を土台に中央集権化をはかり,東南アジアにおける光栄ある大越国の完成をめざした。黎朝は,この聖宗のときを絶頂期として衰退にむかった。1527年の莫登庸(マクダンゾン)の権力奪取,阮淦(グェンキム)による黎朝の再興をへて,しだいに黎朝の存在は名目化し,ヴェトナムの政治は,都の昇竜で黎帝を擁立した鄭氏政権(トンキン王国)と,順化(フエ)に根拠地を置きメコンデルタ地域にまで支配を拡大した阮氏政権(コーチシナ王国広南国)の南北2大勢力に分裂した。両者すなわち主(チュア)同士の対立抗争は,人民の肩に重い課税と徴発を強いる結果となり,とくに阮氏治下の新開地の人民の不満などが要因となって,1771年に阮氏領の一隅で阮氏3兄弟の指導する西山(タイソン)党の乱がおきた。西山党は,農民を初め幅広い階層を結集し,ついに1789年,黎朝を滅ぼし,ヴェトナムの再統一に成功した。

 黎朝の王権を支えた重要な基盤は,洪徳均田例に示されたような均田制であった。これは東アジアに共通した均田制のヴェトナムにおける適用とみられるが,その特徴は,公田(コンディエン)の割り換えが6年1期であること,公田の量が村落によって異なる分制をとっていること,などであった。しかし,長い黎代において,支配階層の物的基礎であった田庄(ディエンチャン)経営が衰退する一方,公田の分給によって維持されてきた国家的村落としての社(サー)も,公田制の変質に伴って自律的傾向を強め,しだいに村落共同体へと転化してきた。こうした時代の趨勢に加えて,手工業の発達,鉱山の開発,外国貿易の展開を基礎とする流通経済の発達など,諸々の要因が重なって,黎朝皇帝権力の名目化,阮鄭両主の抗争,ヴェトナムの分裂状態を現出したのであろう。16世紀になると,ヨーロッパ人がヴェトナムに来航し,カトリックが伝道された。キリスト教の布教は禁じられたが,フランス人アレキサンドル=ド=ロードの考案したヴェトナム語のローマ字表記法は,今日の国語(クオツクグウ)の母胎となった。鄭阮分裂期に展開された外国貿易では,はじめはポルトガル人がヴェトナムとの交易を牛耳っていたが,やがてオランダ,イギリス,フランス,中国,日本がしのぎを削った。おもな港として「雲屯(ヴァンドン)」(雲海(ヴァンハイ)島付近)フォヒエン(「興安(フンイエン)」),フェイフォ(「会安(ホイアン)」),ツーラソ(ダナン)があった。黎朝の文化は,固有の伝統や慣習を色濃く反映したもので,その制度や法に中国的なものとは異なる独自の面を見出すことが容易である。黎初の国家的儒教は官僚制の衰退とともに衰えたが,むしろ儒教は民衆の次元に浸透し,初め圧迫された仏教も保護されて民衆化し,儒・仏・道の3教と固有信仰からなるヴェトナム的宗教が成立してきた。黎代には優れた学者,文人が輩出したが,『平呉大誥』,『抑斎集』を撰した阮薦,『大越史記全書』を編した呉士連(ゴシリェン),『越史標案』を書いた呉時仕,『芸台類語』,『大越通史』,『見聞小録』を著わした黎貴惇(レキドン)など,いずれも当代一流の博学多識の士であった。民衆文化を示すものとして字喃(チュウノム)文学があるが,阮薦が書いたと伝えられる『家訓歌』,段氏点(ドアンティディエム)の『征婦吟曲』,阮嘉韶(グエンザティエム)の『宮怨吟曲』などは代表的作品である。

〔参考文献〕桜井由躬雄「洪徳均田例に関する史料紹介」1・2 東南アジア歴史と文化・3,4,1973,1974

山本達郎編『ベトナム中国関係史―曲氏の抬頭から清仏戦争まで』1975,山川出版社