●黎元洪 れいげんこう
アジア 中華人民共和国 AD1864 清
1864/66〜1928 中国,中華民国の軍人・政治家。湖北省黄陂県の人。字は宋卿。北洋水師学堂卒業。張之洞に招かれドイツ人教官と湖北新軍の訓練にあたる。湖北新軍第21混成旅団長として湖北の革命派を弾圧するが,1911年(宣統3)武昌蜂起のとき革命派に迫られ軍政府湖北都督となり,革命後南京臨時政府の副総統となる。袁世凱派の政党進歩党を組織し,国民党に対抗した。第2革命に際しては革命軍の鎮圧に回った。1914年(民国3)袁が国会を解散し参政院を設けるや参政院長に任じられた。袁の死後大総統となるが,国務総理段祺瑞と衝突,1917年2月から始まる対独墺国交断絶・宣戦問題をめぐって対立が激化したが,この機会に武力をもって上京し復辟を断行した張勲によって大総統の職を解かれた。1922年(民国11)第1次奉直戦争後,直隷派軍閥に推され,再び大総統に就任するが,翌年政界から引退し,1928年天津で没した。