●黎軒 れいけん
アジア 中華人民共和国 AD
中国,漢魏時代の史書にみえる西方の地名。前2世紀末における張騫の西域遣使によって,漢と西域との交通が開かれ,安息(パルティア)人の渡来によってこの名が伝えられた。ただし,その方位については所伝に一致するところがない。『史記』は〈安息の北にあり,眩人を出す〉と伝え,『漢書』は烏弋山離(アラコシア?)の西方に当たるといい,また,『後漢書』や『魏略』は条支の西,大秦国の一名であるとしている。したがって,黎軒の位置比定は,内容的に相違するこれらの史料をどう解釈するか,にかかっている。ドイツのヒルトは,これらの諸点を考慮に容れた上で,黎軒の位置をかつて海上交易で繁栄したペルシア湾岸のペトラに比定し,白鳥庫吉やフランスのペリオはエジプトのアレクサンドリアにあて,藤田豊八は,イラン北部のラガ(別名レイ)の宗教団体マギにあて,黎軒はラガの対音であると主張している。また,宮崎市定の条支=シリア・大秦国=ローマ本国という説を認めるとすれば,黎軒=アレクサンドリアということになるであろう。