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●ルール問題 ルールもんだい

ヨーロッパ フランス共和国 AD1923 フランス共和国第三共和政

 1923年1月11日から1925年8月末まで,フランスとベルギーの軍隊がドイツのルールに進駐・占領したことによって生じた問題をいう。

【ルール】ルールはライン川の支流ルール川の中・下流にある,ドイツ北西部の工業地帯である。大炭坑が南から北へ傾斜しながら存在し,推定では650億トンの石炭があるといわれ,北はリッペ川に達している。中世から南部で採掘が始められたが,19世紀以後,本格的な出炭が開始され,この石炭を利用した鉄鋼業をはじめ,金属・電気・機械・化学・ガスなどの諸工業が発達し,ヨーロッパ最大の工業地帯となっている。ドルトムント・ボッフム・エッセンなどの工業都市が集中している。

【賠償不能】アメリカ大統領ウィルソンの14カ条にのべている“勝利なき平和”によって和平したドイツであったが,ヴェルサイユ条約では,戦勝金はとらないが賠償は求めるとするイギリスなどの主張が通り,1,320億マルクのいわゆる天文学的賠償金が一方的に課せられた。戦時中に,すでに破綻をきたしていたドイツ経済の力をもっては,その利子の支払いすら不可能であったので,ドイツはその修正を求めたが,第一次世界大戦による疲弊を,ドイツからの賠償金によって切り抜けようとするフランスやイギリスはこれに応ぜず,1921年5月のロンドン最終通告によって1,320億マルクの賠償金が決定された。ドイツは1921年末に14億マルクを支払って以後,支払いの延期を求めざるをえなくなり,国際的に孤立した。マルクの信用も失い外貨の流入もなく,ヴェルサイユ条約に対する不信感がたかまった。

ルール占領】フランスでは,対ドイツ強硬論のポアンカレが1922年1月15日に首相となった。フランスとしては,ヴェルサイユ条約によってえたアルザス-ロレーヌ地方の鉄と工業に必要な石炭を求める必要があった。また経済復興のためには,すでに多額の支出をしていた。ポアンカレは,ドイツが賠償金支払いに応じないのみでなく,石炭・木材の引渡しを完全に履行していないことを理由に,ベルギーをさそって,1923年1月11日,ルール地方を軍事占領し,直接に賠償を石炭によって取り立てようとした。共同の行動を呼びかけられたイギリスはこれを拒否し,8月11日には,〈フランス・ベルギーの行動は,……ヴェルサイユ条約によって認められた範囲を逸脱している〉と宣言した。イタリアは賛意を表しつつも,行動をともにしなかった。フランスはドイツのすべての企業を軍政下におき,市民生活も軍政下に支配した。

消極的抵抗】当時ドイツはクーノ内閣の時代で,政府はいわゆる消極的抵抗を住民に呼びかけた。消極的抵抗とはサボタージュ戦術といってよく,石炭の出荷・鉄道・郵便にいたるまでが能率を低下させ,武器をとった積極的抵抗こそしないものの,フランスに協力しないことで,激しく抵抗した。このためフランスは予定の出荷をみることができず,占領費のみかかり,また,住民との摩擦も多かった。

シュトレーゼマン】フランスのルール占領も失敗であったが,ルールを失ったドイツの痛手も大きく,決定的なインフレーションがおそってきた。貨幣価値は1914年の1兆分の1にまで下落し,労働者や中産階級を没落させたのである。1923年9月に首相兼外相となったシュトレーゼマンは,大連合内閣の政策として,西欧協調政策を打ちだし,ルールの消極的抵抗の中止を決定した。その上で,インフレーションの収束や過激派の鎮圧につとめた。シュトレーゼマン内閣は3カ月の短命であったが,彼はその後の内閣に,1929年まで引きつづいて外相として入閣したので,上記方針は継承され,ドイツの信用を回復させた。1924年8月にはドーズ案が成立して賠償問題が一歩解決され,これにもとづきルール撤退が約され,1925年8月末までに撤退が完了して,問題は解決された。