●ルブルク
ヨーロッパ フランス共和国 AD
フランス王ルイ9世の命で13世紀モンゴリアに旅行したフランシスコ修道会士。フランドル地方のルブルクの生まれ。1215〜30年の生まれと推定される。第6回・第7回十字軍の指導者であったフランス王ルイ9世はモンゴルの皇帝と提携し西アジアのイスラーム教徒を討とうとはかり,ドミニコ修道士ロンジューモーのアンドルーらをモンゴル人のもとへ派遣した。その目的は失敗に終わったが,彼らの報告によりモンゴル人のキリスト教徒がいることを知り,1253年ルブルクのウィリアム修道士を長とする使節団を東方へ派遣した。それはアンドルーらの使節より宗教的・伝道的性格の強いもので,彼らはコンスタンティノープルを出発,黒海を渡り,クリミア半島のスダクに上陸,そこからヴォルガ河の西のキプチャク=ハン国の王子サルタクの宿営に着いた。サルタクはバトウの長子でキリスト教徒と伝えられていた。使節団はそこからバトウの本営,さらに中央アジアをへてモンゴリアのモンケ=ハンの本営に到着,大ハンに拝謁を許された。一行はモンゴル領土に滞在してキリスト教布教に従事する許可を乞うたが認められず,滞留数カ月ののち,モンケ=ハンからフランス王への返書を託されて1254年7月帰国の途についた。帰路はヴォルガ河畔のバトウの宮廷・カフカス地方をへて1255年8月にトリポリに着いている。ルブルクのウィリアムはアッコンの修道院で詳細な報告書を作成,本国のルイ9世に送った。それは彼の豊富な見聞をもとに13世紀の中央アジア・モンゴリアの地理・風俗・習慣などを記した貴重な記録であり,東西交渉史の重要な史料でもある。