●ルター教会 ルターきょうかい
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プロテスタントのキリスト教会の一つ。ルター派教会のことであるが,わが国ではルーテル教会と呼んでいる。【教会の歴史】ルーテル教会はルターの宗教改革運動に起源するが,実際に教会が組織されたのは,1526年のシュパイヤー帝国議会で事実上宗教改革を容認する布告が出されたあと,プファルツオ伯・ザクセン選帝侯らが宗教改革に着手してからである。1529年のシュパイヤー帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世が先の布告の無効を宣告したのに対して,福音主義派の諸侯・帝国都市は抗議(プロテスタティオ)を行い,翌年のアウクスブルク帝国議会にメランヒトンの起草になる『アウクスブルク信仰告白』を提出して,彼らの信条がカトリックと必ずしも矛盾するものでないことを訴えたが,その『信仰告白』は皇帝によって承認されなかった。その後,シュマルカルデン戦争をへてプロテスタント諸侯らを屈服させることの困難を知った皇帝は,1555年,アウクスブルク宗教和議を成立させ,プロテスタント諸派のなかでルター派のみを公認した。ここにドイツのルーテル教会は公認の教会となることができたのである。しかしルターの死後,人間の自由意志に救済上の意義を認めようとするメランヒトン派(フィリピストと呼ばれる)と厳格ルター派とのあいだに存在した対立は,宗教和議後いっそう激化し,宗派内部の協定が失われたが,1580年に『和協信条』が作成されて,対立は妥協的に解決された。ルーテル教会はその成立の事情からも知られるように,国家教会であった。ルターは理論的には霊的統治と世俗統治とを峻別し,相互間の不干渉を主張していたにもかかわらず,「臨時司教」論によって領邦君主主導の宗教改革を認めたのであったが,その後も領邦君主は教会の最高の監督としての地位を占めつづけたのである。この国家教会制の持続と教義の硬化のために16世紀後半から17世紀を通じて教会の宗教的生命力は衰弱したが,17世紀末に敬虔主義の運動がおこり,信仰の内面化と民衆の教化に大きく貢献した。敬虔主義は啓蒙主義・ロマン主義にも影響を与えている。しかし,ドイツでルーテル教会が国家から完全に分離するのは第一次世界大戦後のことである。
【教会の拡大】ルター派は宗教改革時代に北ヨーロッパに伝えられ,スウェーデンは1527年に,デンマークは1536年に宗教改革を行ってルーテル教会がつくられたが,両国の支配下にあったフィンランド・ノルウェー・アイスランドにもそのときにルーテル教会の制度が導入された。アメリカにおけるルーテル教会の形成は,三十年戦争のときに戦火を避けてドイツ人がアメリカに移住したのに始まる。その後,19世紀にドイツ・スカンディナヴィアからの移民が増加するとともにアメリカにおけるルター派信徒は多くなり,現在ではアメリカ合衆国におけるルター派信徒の数はドイツにおけるそれにつぐにいたっている。
【教理】ルーテル教会で共通の教理の基礎とされるのは『和協信条』『アウクスブルク信仰告白』・メランヒトンの『アウクスブルク信仰告白の弁護』・ルターの『小教理問答書』『大教理問答書』などである。教理の中心は信仰義認におかれ,キリストの犠牲的死によって人は罪あるままに信仰を通じて救われることを説く。しかし,カルヴァン派のように神の恩恵を与えられた人間の聖化に力点を置かない。予定説もとるが,信者の救いへの予定を説くだけであり,カルヴァン派の二重予定説とは異なる。