●ルイ=フィリップ
ヨーロッパ フランス共和国 AD1773 フランス王国
1773〜1850 フランスの国王。フランス人の王として在位(1830〜48)ルイ16世の処刑に賛成した。オルレアン家のフィリップ平等公の長子。幼時より啓蒙思想に親しみ,大革命の勃発後ジャコバン=クラブに在籍。義勇軍に投じ,ヴァルミーの戦勝にあずかったが,北部戦線での敗北後デュムリエ将軍の裏切りに同調せず,逮捕を免れて敵陣に投じたがフランスと戦うことは拒否し,亡命者のあいだでは憎まれた。スイスにのがれ地理学・数学・近代文学の教師として薄給で暮らしたが,そののちハンブルク(1795)・スカンディナヴィア諸国(1795〜96),さらにアメリカ合衆国(1797〜99)と移住し,1801年から1807年にはイギリスのトゥイッケナムに住んだ。1793年11月の父の処刑の報に接してオルレアン公を称し,イギリス滞在中にブルボン家と和解をはかったが同家からの不信は消えなかった。1809年,両シチリア王国のフェルディナンド4世の娘と結婚。王政復古後は莫大な資産を回収し,投機や亡命貴族に対する賠償金によりさらに蓄財した。また新聞創刊を援助したり,議会内外の自由主義者と連携を保ち,正統王朝派から警戒された。1830年の七月革命により市民王に推戴された直後は,改革主義の運動派と保守主義の抵抗派の均衡をとっていたが,しだいにカジミール=ペリエなどの後者に傾き,金融貴族の寡頭支配の象徴となった。国内にはほかに正統王朝派・ボナパルティスト・共和主義者・社会主義者などの反対勢力をかかえていたが,これらをよく抑え,国際的には平和外交を鮮明にして,ヨーロッパ諸君主を安心させた。また1840年にティエールが積極的な東方政策でイギリスとのあいだに緊張を生みだすとこれを退け,ギゾーに政権を委ねた。しかしその対外政策は屈辱的だとして国内の反発を浴び,選挙法の改革要求も力で抑え込んだので,1848年2月革命をひきおこすもととなった。イギリスに亡命し,ヴィクトリア王女からクレアモントの居館をあてがわれた。