●ルイス=フロイス
ヨーロッパ ポルトガル共和国 AD1532 アヴィス朝
1532〜1597 ポルトガル人イエズス会司祭。リスボン生れ。1548年2月イエズス会入会,翌月東インドに派遣され,ゴアで聖パウロ学院に入学。そこでフランシスコ=ザビエルや日本人ヤジローに出会う。1561年司祭に叙品され学院長や管区長の秘書となり,日本事情を知る。1563年(永禄6)7月6日九州の彼杵半島の肥前横瀬浦に来日。大村領・有馬領の口之津・島原地方などで布教。1565年1月京都に入り,将軍足利義輝の保護を受けるが,同年義輝が殺害され宣教師たちは京都を追われ,フロイスは自由都市堺に移る。織田信長の時代に再び入京,1569年5月日蓮宗の僧朝山日乗と宗論を行った。1576年(天正4)京都を去り,豊後の臼杵に移り,大友宗麟と親交。1581年巡察師ヴァリニャーノの通訳として京都入り。同年5月ヴァリニャーノの命令で配流中の高山右近を訪ね,越前北庄(現福井県)を訪れ,布教。のち,日本準管区長付として九州にとどまり,口之津・長崎・加津佐などの各教会の指導にあたる一方,イエズス会本部に送る報告書である「日本年報」の主執筆者をつとめた。1583年イエズス会総長のメルクリアンの命令で『日本史』の記述を開始。1586年には準管区長コエリヨの通訳として大坂城で豊臣秀吉に謁見。翌年,伴天連追放令のため平戸へ行き対策を検討,一時有馬の加津佐でキリシタン諸侯の保護を受け,1590年長崎に移る。1592年(文禄1)秋,ヴァリニャーノとともにマカオに渡るが,1595年長崎に戻り,長崎の修道院で没す。主な著作に『日本史』『日欧文化比較』がある。そのほか『イエズス会士日本通信』『イエズス会士日本年報』と呼ばれるもののなかに多くの報告や書簡を残している。〔参考文献〕フロイス,松田毅一・川崎桃太訳『フロイス日本史』全12巻,1977〜80