●呂不韋 りょふい
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生没年不明。中国,戦国時代の商人出身で,秦の統一前の丞相,相国。河南省の人で,商人として活躍していたとき,趙の都,邯鄲(現在の河南省)で,人質となっていた秦の太子の子である子楚と会った。呂不葦は,画策して,子楚を太子の相続人となることを認めさせた。また,子楚の願いを入れて,すでに身重となっていた彼の愛妾を献上したが,やがて政(のちの始皇帝)を生んだという。秦の前257年(昭王50・孝成王9),秦が趙の都を攻撃すると,子楚とともに秦に逃れた。前251年(昭王56),孝文王が即位すると,子楚が太子となり,まもなく,子楚が荘襄王となると,彼は丞相となった。ついで,前246年(始皇帝1)政が王位につくと,相国となり,文信侯に封じられ,子楚の夫人は太后となった。彼は,国政をにぎって権勢をほこり,食客3,000人をかかえ,太后とも密通した。やがて,密通が露顕して相国を辞任し,封邑に引退させられた。のち,蜀の地に移ることを命じられると,処刑を恐れて自殺した。なお,彼は,門下の食客に命じて,当時の知識や学説を総合した『呂氏春秋』26巻を編集させ,雑家の学を成立させた。