●遼東都指揮使司 りょうとうとしきしし
アジア 中華人民共和国 AD1371 明
明代遼陽に置かれた地方軍政機関。南は旅順口,北は開原,東は鴨緑江,西は山海関を範囲とするほぼ現在の遼寧省の大部分を管轄し,女真族の招撫をつかさどった。洪武帝は1371年(洪武4)東北統治に着手し定遼都衛指揮使司を遼陽におき,遼東の諸衛を総轄させた。1375年(洪武8)に都衛を改め遼東都指揮使司と称した。所属は25衛2州(長城以遠には原則として衛所のみが設けられた)。明朝は蒙古・女真に対して開原・広寧・撫順などに“馬市”を設けたり,衛所の官職を各部族長に与え,政治的・経済的に懐柔をはかって,一方ではたがいに牽制させる分断統治策をとった。管内の三万衛は四川龍州・順天遵化とともに三大鉄廠として知られる。中葉以後は勢威が衰え,1621年(天啓1)ヌルハチにより遼陽が陥落し,後金国の首都となり滅びた。なお,1949年瀋陽の故宮で発見された明代の公文書1,080巻のうち,約5分の4は遼東都司のものである。