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●領土 りょうど

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 国家は,領土・人民・主権の3要素からなっている社会集団である。その領域は,領土・領空・領海からなり,広義の領土の意味にも用いられ,他国の権力を排して独占的に支配する地的空間である。歴史は移り,人は変わるといえども,国民に対し自然を土台とする領土は不変的存在である。しかし,ズーパン(1922)によれば,その位置は,数理的位置・地理的位置・政治的位置の3区分をなしている。数理的・地理的位置は,自然的位置で絶対的なものであるが,政治的位置は,他の政治組織体との対応関係において変化もあり相対的位置にある。さらにそれは自然的位置と結びついてゆく性質があるとしている。

【領土の可変性】国土の面積は時代の推移とともに変化する。小国が大国に変じたり,あるいは大国が小国になった例は,多くの歴史が示しているところである。一時的であったとしても大国的存在となった近代ハプスブルクの強国や,ナポレオンのヨーロッパ帝国などがあげられよう。また領土の縮小には,植民地の分離や独立によるものや,敗戦国の部分的領土の割譲など,第一次および第二次世界大戦後のドイツ,第二次世界大戦後の日本などがその例であり,歴史的にはこのような実例はきわめて数多く存在する。健全な国家は領土の縮小をなすようなことはしない。むしろこのような国家は,その存在の維持と発展のため,つねに汲々としているのが実状である。その原因には,人口の増加や,地下資源の獲得・肥沃な農耕地や交通上の要地,たとえば河口港や空港・海峡,または自国民が国境の外側に直接に接しているなどの場合は,それぞれ領土の拡張意欲を高める性質がある。

【領土の中心性】一国家は単なる等質地域の集合ではなく,一つの統一地域である。すなわち,国家は中心と周辺があり,それが機能的に結びつき,政治的に統合された国土となっている。氏族社会の経済段階では,核心地域の存在は明瞭でなく,比較的等質的な地域構造とみなされる。しかし,やがて核心的地域の萌芽がみられるようになり,その初期的段階は地縁集団の土地占有から始まり,やがて村ができ,小村落は大村落と結合し,初期的核心が形成され,それが多様化され,村落から地方都市,そして中央都市へと結合し支配されるようになる性質がある。かつての城下町が,周辺の農山漁村を機能的に結合した形で地方の核心的役割を果たし,そして中央集権体制が確立され,地方的核心から中央的核心域に結接する形態がとられる。現今の国際関係はきわめて多くの因子が錯綜するようになり,核心地域としての国家の中心は,もはや政治組織の最終的段階ではなくなり,むしろ先進国を核心とした国際的政治単位にまで拡大している。一応各国は,政治的単位として機能的には分離されているが,植民地など政治や経済的に従属的であったりして,多様な形態で核心を統合し,国際政治地域の圏域化の一環に組み込まれていく傾向もある。

【領土と生活】大都会への人口集中傾向は,各国にみられる現象であるが,その多くは出生による自然増加というよりも,むしろ地方から流入する社会増加によって急速に人口が膨張していく場合が多い。地方からの流入者は,その出身地の田舎,すなわち故郷をもっている。時折帰郷すれば,やはり故郷に懐かしさを感じるであろう。世移り人変わるといえども,故郷の山川草木の不変的存在に心をなごませ,人知れぬ愛着を感じるであろう。そして昔と変わらぬ田園生活の景観に触れることもできるのである。村落の人々は変わっても,土地は変わらない。土地は住民にとって取り替えることのできない地理的位置にあり,住民に対して土地は不動的構成要素である。つまり,その土地の定住・運動・生産力として村人と結合しているのである。とくに土地のもつ栄養料の供給者としての役割は重要で,この土地の破壊・喪失はきわめて大きな意義を有することになる。この傾向は国家などの政治組織体を単位として考えても同様である。

 人類の経済生活は,その土地との結びつきの程度や,その利用により新しい生産性をつくりだす程度の割合によって,種々の形態に分類することが可能である。人間生存に必要な食料源は,各民族によりそれぞれの段階を辿っているものもある。地球上における各地域の経済をみると,高度に発達した経済地域や,まったく未開の原始的な地域が存在する。狩猟状態・牧畜状態・農業状態の原始的なものでも,近代的科学技術や資本が取り入れられるようになると,単に自然物を拾集利用するばかりでなく,人間の知性により同じ土地よりいっそう収穫をあげるようになる。土地と人間との結合はきわめて強くなっていく,土地利用の集約化・灌漑・肥沃な土地の獲得という経済的動機から政治的動機へと変化する性格も有している。耕作が極度に集約化されていくに従い,土地と人間との結合度が強くなっていく。したがって1国を支持していく人間が,どの程度その土地との結合を有しているかということは,国家生存上重要な政治的意義を有しているといえる。古くはフェニキア人・カルタゴ人・ギリシア人・ローマ人などは,土地の耕作ということを軽くみて,彼らが征服した地方の住民を放逐することをなさなかった。彼らの政治勢力が衰えていったとき,その国民性も消滅し,国も衰退していった。この傾向はラテン系の植民地にもみることができる。スペインやポルトガル人によって中米や南米の諸地方の植民地は,1家族および1村落によってでなく,男子が主体であり,原住民との混血はできたが,母国とは疎遠となっていき,その根をおろすことにはならなかった。これに反し,北米におけるアングロ=サクソン族の植民は,村落や家族を伴った移住であって強い土地獲得欲によって展開されていった。アングロ=サクソンによる東部より西部への西漸運動は,インディアンとの土地争いや,平和的な土地獲得などによって展開され,結局のところ強力な土地への定着となり,安定した土台の上に根をおろすことになった。土地と住民との関係を日本の側についてみるに,第二次世界大戦の結果,日本は多くの領域を失った。戦後沖縄はアメリカ軍に占領されたが,住民はその土地に残り,日本への復帰運動推進力の一つとなり,大きな力を示した結果,希望がかなえられるにいたっている。これに反し,樺太(サハリン)・千島(クリル)・北方領土の住民は,ソ連により放逐され,日本本土へ引きあげざるをえない結果となり,年に1度の墓参さえもおぼつかない情勢である。ソ連側にとっては,土地と住民を切り離す政策に成功したことになる。日本側にとっては,その土台まで喪失した結果となり,近年の北方領土復帰要求にも不利な条件となっている。

 農工状態や農工商状態では,経済階程はいっそう進歩する。農耕も家畜を活用し,家畜に犂(すき)を引かせ,人間の労力を節約して畜力を最大限に利用する。この犂の文化においても,工業は存在し,とくにマニュファクチュア(家内工業)的階程が同時に行われていた。産業革命以降,トラクター・自動刈取機などの発明により,大量生産をめざして作物の単純化が行われていく,他面,日本や中国の農業のように,集約的農業も盛んとなり,単位面積当たりの収穫量を大きくし,小面積で大人口を養いうる農法も進み,都市近郊の園耕への発達もみられるにいたった。また,熱帯や亜熱帯地域において,ヨーロッパ諸国が近世以降植民を行い,本国で必要な熱帯農産物を得るため大資本を投下し,大面積に単一作物を大量生産していく農法,つまりプランテーション(栽植農園)やエステートを経営し,労働者は原住民の有色人種を当て,香料・キナ・ヤシ・ゴム・麻・棉花・甘蔗・茶・カカオ・コーヒーなどの商品作物を栽培していった。このように文化度の高い地域の政治組織体による支配的な経済形態を形成していくと,土着の形態が,外来形態のために敗退していく例が多かった。たとえば,鉄工業が鋤耕を押しやったり,土着の犂が他の発達した耕作法のために敗退したり,商業が経済構造に特別な影響を及ぼしたり,科学や技術の進歩発達が強く経済構造に作用を及ぼし,また,合理化が図られることにより,ますます経済構造が複雑化していき,交通通信情報が発達して広域経済圏を構成していくことは,土地と密着してそこに根をおろしたことにならなくしていく,このような傾向に国家の固定的因子の一面が失われていくのではなかろうかという一つの問題も生じるのである。

【国境の性格】今日における国家の自然的および文化的諸現象の活動領域は,相接する他の領域とのあいだに境界地帯を形成している。それもある幅をもったいわゆる境界地帯,すなわちフロンティア(辺境帯)と,幅やひろがりを認めない線状の国境バウンダリ(境界線)の二つの性格がある。原始的な政治組織体が,比較的安全に発達していくことができるためには,その組織体はしばしばその境界に山や湖および沼沢地・森林といった防護的な障壁を必要としていった。その後その障壁も他の接近している政治組織体とのあいだにおいて,権力が接するようになると,しだいにいずれかの政治組織体の一部に編入されるようになっていたことが多い。すなわち,フロンティアはあるひろがりをもった土地の「帯」であり,その土地の性格や利用により,他の力が作用して絶えず変化をつづける性格を有するところである。このようなフロンティアは,過去のものとなり,大規模のフロンティア地域への領土拡張の夢は過ぎ去ってしまった。しかし,まったく影をひそめてしまったというものではなく,部分的には二つの政治組織体の係争地区として残存していることもある。大きく考えてみれば,近年の社会主義圏と自由主義圏の2大圏域の接触部分一帯に,絶えず紛争が生じている国際的フロンティアが存在している。バウンダリ的境界は,近代国家において,おたがいがそれに明確な納得を示していることにもなっている。政治的緊張時に,一方的な圧力により強要によるバウンダリは,安定しないということも生じ,たまたまそれがもとで紛争が生じる場合が多い。それは,境界そのものの問題ではなく,強要されなければならなかった本源的要因が問題となってくる。したがって,その要因そのものが問題となってくるのである。つまり,境界線そのものの本質的な機能を検討し,関係する政治組織体間およびその地域の住民などから全面的に受け入れられるものでなければならない。

 古代には国境はあまり明確なものではなかったが,国家が発展し,その領域が明確になるにつれ,領土はすみずみまで統治の力が波及し,その利用も進歩して,国境はしだいにバウンダリ化していった。元来国境は,民族・文化・資源などの複雑な要素がからみ合っており,しかも強い利害関係をもっているので,あらゆる面で合理的な国境の決定が困難視される面も多いのである。その場合,中立地帯とか,非武装地帯を設けたり,また,国際的に相対立する地域に緩衝国を設けている。たとえば,かつてイギリス勢力とフランス勢力間のタイ国,またはイギリスと帝政ロシア両勢力間のイラン・アフガニスタンなどがあった。スイス・オーストリアなども緩衝国である。そのほか大国に隣接している衛星国は,やはり緩衝的役割を果たしている場合が多い。

 国境は大きく分けて,自然的国境人為的国境からなる。自然的国境には,海洋・山脈・河川・湖沼・森林・砂漠などがあり,海洋国境では領海と公海との境が国境となるし,山脈は一般に山地中の分水界を国境線とする場合が多くなっている。河川は,水路の中央線をふつう境界線としており,航行不能なものは流れの両岸よりの中央線を境界としている。リオグランデ川・ドナウ川・アムール川などは境界として利用されている例である。湖沼国境はアメリカ合衆国とカナダのあいだにある五大湖などがあげられる。人為的国境には,経緯線文化的国境に分けることができる。経線によるものにはアラスカとカナダ国境や,リビアとエジプト間の国境,また,カナダ国内各州の境界線にも認められる。緯線としては,アメリカとカナダ間やエジプトとスーダンのあいだ,第二次世界大戦後の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の分割線,かつての南北ヴェトナムの分割線などがあげられる。文化的国境は,経済・民族・言語・宗教などの分布状態によって決められたもので,インド亜大陸などにその例が認められる。

 国家の領域を考えるにさいし,世界における他の経済単位との関係について,国家が一つの経済単位として働かなければならないが,しかし,経済単位として必ずしもまとまったものにはならず,ただ,その一部分として,その国家領土が作用するという困難も生じる。また,国家領土と経済がどの程度まで他国経済に依存するかを決定しなければならないことにもなる。食料源・原料源・市場などの獲得のみならず,国家は必ずしも一つのまとまった経済単位でなく,そこに他国との関係に経済問題が大きな役割を果たさなければならないものとなる。ある国家が,その国家以外の土地に政治的になんらかの関係を保つことについては,いろいろな形があった。たとえば,植民地・占有地・属国・保護国などである。植民地は従来広く世界に分布していたが,最近は発展途上地域の相次ぐ独立などにより,しだいに減少してきた。

【植民地(colony)】植民地概念の最初はコロン colon(農夫)が定着したものであるとされている。したがって15世紀ごろまでは,まだ国家植民という形態は現れなかった。16世紀に入ってポルトガルとスペインが最初の大国となり,その政府により意識的にまた整然と近代的な意味の植民政策が用いられるようになった。その後1580年からオランダ・イギリス・フランスへと植民政治の主導権が移っていったのである。とくに17世紀から19世紀末までの約300年間で最も間断なく対立していたのはイギリスとフランスの植民地問題であった。その後アメリカの台頭もあり,19世紀末ごろまでには,世界の発展途上地域の多くは植民地化されていった。植民地の開発は本国の利益を目標として行われ,本国の利益に反対する場合は抑制されていた。植民地は機能的にみると,最初は大きな商業団体などにより経営され,のちまったく政府によって統治された「通商植民地」,その土地の住民の利益や保護することのない「搾取植民地」,自国民の海外移住により国家と同盟関係となりうる「定着植民地」,自国の資本や技術で植民地の特産品を大量に獲得できる「栽植植民地」,オーストラリアやシベリアのように犯罪者を送った「流刑植民地」,漁業の基地や海底電線の陸揚地,艦隊の根拠地などに利用される「中継植民地」などに分類することができる。第二次世界大戦後は戦略兵器などの大変革により中継植民地の意義も変質しつつある。現今の政策面では政治的には,植民地全般にひろがる民族独立運動が激しくなり,その統治が困難視され,植民地として搾取するよりも,むしろ新しい独立国として貿易するほうが安全有利と考えられるようになった。しかし,この独立国も経済的には自力に乏しく,また政情不安の地域が多い。したがって旧本国や第三国・国連などの協力・援助を受けている場合が多く,今なお経済的に旧勢力などの影響が根強く,そこに新植民地主義ということばも生じる原因ともなっている。

 植民地を政治的な面から分類すると,「直轄植民地」「保護領」「自治植民地」「信託統治地」「租借地」などに分類することができる。直轄植民地は,本国政府が直接支配する地域で,ホンコンなどがその例である。ホンコンはアヘン戦争の結果,1843年の南京条約でイギリスに割譲されたもので,イギリスの東洋貿易の中心地として発展したが,1997年期限で中国に返還することになっており,諸交渉の種となっている。保護領というのは,本国から保護されている地域で,かつてのブルネイなどが含まれる。自治植民地としては,旧モーリシャスなどがあげられる。これも直轄植民地から自治権を獲得したものである。信託統治は,第一次世界大戦後における日本の南洋委任統治領があった。ある特定の国が信託されて統治している例では,第二次世界大戦後の1946年に,パプア=ニューギニアがオーストラリアの信託統治領となったことがある。領土は当事国が,原則としてこれを排他的に支配統治するものであるが,租借地として他国から借りる場合もあり,かつて関東州を租借していた日本の場合はそれであり,要するに国家の統治権力が一定の範囲で他国の領土に及ぶことである。この点では,国際海峡国際河川・国際運河などは同様の性格を有する。

 そのほか,共有領土権ということもある。かつて江戸時代,樺太に対して日本とロシアの領土主張が対立したとき,外交交渉によってその解決を試みたが成功せず,結局両国の共有領土権下に置くことにした例がある。共同支配権は,オセアニアにおけるかつてのニューヘブリデス(フランス語のヌーベル=ヘプリード)は,1906年イギリスとフランス両国の共有領土権共同支配権のもとにあったが,1980年に独立してバヌアツ共和国となった。第二次世界大戦後の日本は,連合国により共同支配権を設けられたことがある。しかし,これは日本の領土権とは関係がなかったのである。また,国際地役と称し,一国の特定地域を他国の軍隊の通過用に供したり,内陸国に自国の港を提供したり,漁業基地を提供したり,自国の領海を自由航行に開放したりするなど,一国が他国の利益のため,自国領土の一部に領土主権の行使を制限する行為である。 今日地球上に存在する国家数は157カ国にも達しており,しかもそれぞれ大小さまざまな領土をもち,人口や国民の文化・政治・資源・経済的活動力などにも違いがある。そこに経済摩擦・大国間の駆け引き・経済・政治不安・地域的紛争などが生じるようになっている。19世紀後半では,領土や支配権拡大の陸盗り時代とも考えられ,20世紀後半は,領海の拡大となって,海盗り空盗り時代ともみなされよう。これからも領土や権益に関する問題は生じるであろうが,かつての植民地支配的傾向は減少していくものと考えられる。〔参考文献〕飯本信之『政治地理学』1935,改造社

岩田孝三郎『政治地理』1958,帝国書院

横山昭市・W.A.D.ジャクソン『政治地理学』1979,大明堂