●良源 りょうげん
アジア 日本 AD912 平安時代
912〜985(延喜12〜寛和1)叡山中興の祖と評され,天台密教を創始し,世に元三大師と崇敬される平安中期の天台僧。近江浅井郡の人。12歳で叡山にのぼり16歳で出家,受戒した。その博学多才ぶりは23歳の時,興福寺の義昭と論争してこれを説伏,摂政藤原忠平に知られた。忠平死後は師輔の近づくところとなって,師輔一門の繁栄を祈るため横川の首楞厳院に法華三昧堂を建てるなど,摂関家との信仰と経済的関係が生じた。963年,清涼殿で東大寺僧法蔵との宗論に勝利し宮中の内道場で読経役を勤める盛名を恣にした。53歳で18世天台座主となるが,摂関家とのかかわりを利用し,東塔建立・恵心院創立等叡山諸堂を復興整備,学僧の論義のことを創始し,主要な行法を再興して山内の綱紀を糾し,大僧正を賜った。一方叡山の世俗化が進み,山門寺門の対立のきざしがみえはじめたのもこのころである。正月三日が忌日であることから元三大師と呼ばれ,天台系修験道の創始者とされ,山の神信仰と習合し大師の像は怪異な容貌で描かれるなど民俗的に興味ある展開を示す一面をもつ。